G・バターワース 「青柳の堤」
ヴォーン=ウィリアムズ ロンドン交響曲(原典版) - 22 - (2004年9月)
ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団
(シャンドス CHAN 9902)(輸入盤)
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このCDは間違い無く、「あたり」です。
まず何が当たりかってぇと、メインのロンドン交響曲の前にわざわざ陣取っている曲。
この曲「青柳の堤」で、今更ながらバターワースの真髄に触れました。
似たような路線でディーリアスがいまして、今まで何曲も買ってみたけどイマイチだった。
それがバターワースだと、こうもフィーリングがマッチするのか?というくらい心に響く。
私はゲテモノ趣味と言うか、メルマガのタイトルにあるように「爆音」好きのように
思われているかもしれませんが、心の均整を図るかのように「美しい」音楽も大好き。
飽くなき「美」への狩人さ。
しかし、ただ美しいだけじゃ駄目。
クルクルと変幻自在するような、変転する流れの中に輝きを放つような「美しさ」が欲しい。
「青柳の堤」という小曲は6分ほどのかわいらしさだが、
この美しいひとときが何時までも何時までも続いて欲しいと思う。
だけど、そんな美しい時間ほど、儚(はかな)く短い。
美しさの結末に相応しく、音楽の終わりはひっそりとした余韻があって、
この曲への想いが更に込み上げてくる。
バターワースは31歳ほどで亡くなったとか。
若くして真実に触れた人は、神様に早く召されるのかもしれない。
この考えは、シューベルトやルクーの時にも触れてみたい。
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だけど、この盤の主役はヴォーン=ウィリアムズ(以下RVW)。
しかも「ロンドン交響曲」の原典版、世界初録音。
発売当時はこちらの方が話題になったほどです。
そして演奏の秀麗さも、大いに喧伝された。
なるほど...、確かに美しい。
ロンドンの霧のような、霞のような、ボォとした世界がよく出ている。
学校のチャイム、「キーンコーン、カーンコーン」というのがあった。
実はこれ、ウェストミンスター大聖堂の鐘の音形で、この交響曲でも出てくる。
しかし使い方が、上手くて渋い。
小学校みたいに、バカでかく鳴らすんじゃなく、くぐもった淡く暗い鳴らし方。
「ヴォーン」という音。
こういう演奏は、やっぱりロンドンのオケに限るんだろうなぁ。
淡かったり暗かったりするばかりじゃない。
ロンドン・シティの喧騒を表現したゴージャスで爆発的な箇所も多々あって飽きない。
そんな所がエンタテイメントしていて、聴衆に媚びているようでちょっとイヤ。
RVWの第2交響曲なんだから、そんな事はしょうがないのだが、
同じ若書きでもバターワースは、よりしっとりと上質。
知名度では段違いだが、同じ若書きでもこうも違うんだよ、といった暗喩を
ヒコックスは教えてくれているのかもしれない。
ちなみにこの2曲には因縁があります。
若くして亡くなった親友バターワースに捧げた曲が、「ロンドン交響曲」。
二人の美しい友情を一枚のCDで歌い上げている、そんな美しさに溢れた
名盤です。