(隊長作)

ルクー ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(1891) - 26 - (2005年1月)
   訪問者数 ルクー


(Vn)J−J・カントロフ
(Pn)J・ルヴィエ
(デノン COCO-75306)(国内盤)

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  みなさま、お久し振りです、隊員です。
  今回は早春に相応しい爽やかな、そして聴く者の心を
  清々しくさせてくれる1枚をご紹介したいと思います。
  
  この曲・盤と出合ったのも学生時代なので、もう随分と聴き込んできた
  仲なんですが、この音楽と演奏がもつ生命力や躍動感、
  それでいて青春のみが持つ孤独や不安な機微は一向に衰えておりません。
  
  弊誌でのヴァイオリン・ソナタ自体を採り上げるのは初めてですが、
  これでも室内楽だって聴くんですよ。
  弦楽器をやっていた関係で有名な曲は大方押さえてますし、
  例の作曲に凝っていた頃に参考になるだろうと随分収集してました。
  
  モーツァルトの恐ろしいまでに美しい一瞬一瞬や、ブラームスの哀調ある変転、
  奇想天外なプロコフィエフなど、今回のルクーを押し退けて採り上げるべき楽曲は
  様々とあるのかもしれません。
  しかし、21歳で作曲されたとは信じがたいこの曲は、
  未だにご存じないかもしれない、聴いてらっしゃらないのは
  勿体なさすぎると思ったので、早めに紹介しておこうと思いました。
  
  ベルギーの人で、パリで学びフランクの後継者と嘱望されたルクーを、
  現在となっては知らぬクラシック・ヲタクも少なくなってきたかもしれませんが、
  フランス系の室内楽という事で敬遠してらっしゃる方がいらっしゃったらアラ大変。   (隊長作)

一聴は百見に如かず?ですよ。
  ルクーが未だにマイナーに甘んじているのは、
  24歳で腸チフスで早死したのが一番の原因。
  それゆえに残した楽曲が少なすぎて、これほどの才能が結晶となった
  宝玉のような音楽が少なすぎるのは神が呼び寄せた、という言葉がぴったり。
  
  まったく神というやつは碌でもない事ばかりします。
  
  ルクーはベートーヴェンの交響曲第九番と、後期弦楽四重奏で作曲家を
  目指した人なんですが、これを15歳の時に思い立ったというのですから、
  聴く耳も相当なものだったと思われます。
  現代の我々の世界でさへ、ベトベンの第九は聴いても後期弦楽四重奏を
  どれだけの人が楽しんでいることか。
  それを彼は楽しむどころか、作曲家こそ天職だと思い至るほどの感銘を
  受けるのですから、流石は我々凡人とは大いに違います。
  
  また、バイロイトにて「トリスタンとイゾルデ」を聴き、
  感動の余りに失神してしまったというエピソードも残されています。
  失神してしまうほどの演奏だっただろうと思うと、この演奏会を体験できたルクーが
  羨ましく妬ましく思われますが、彼の感受性がずば抜けていたのでありましょう。
  
  このソナタは正統的な三楽章から成ってますが、フランス音楽にありがちな
  「モワモワ&フワフワ」音楽ではありません。
  透き通るような朝の響きから音楽は流れだしますが、
  崇高な音楽を目指して主題が葛藤とせめぎ合いを繰り広げます。
  ベトベンの後期四重奏曲を開眼した人だけある音楽ですが、
  深刻に陥ることも無く晦渋さがない点は天衣無縫。
  (隊長作)
この人が長命していてくれたら、
どれほどベルギー音楽の名を上げていてくれたかと思います。

  当ディスクには他にはドビュッシーやラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタが
  収録されており、いずれも素晴らしい演奏。
  ただ、カントロフのどんなに激しいアタッカでも美音を崩さない点は
  ルクーの音楽に最適で、ルクーの持つ美質とカントロフのチャーム・ポイントが
  上手く結びついた好配合だと思います。

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