(隊長作)

2009年4月26日(日)  14:00   - 260 -    訪問者数

     新交響楽団  高関健指揮
     東京芸術劇場


     ウェーベルン  管弦楽のための6つの小品
     マーラー    交響曲第6番「悲劇的」

  sousousousousousousousousousousousousousousousousousousousousousousousouso   (隊長作)

第15次東京遠征。
  今回は行きも帰りもプラットこだま。
  時間は「のぞみ」の倍は掛かりますが、グリーン車指定席で、
  のぞみの指定席より千円以上安い。
  しかもドリンク券つき。

  私は電車が好きなようで、各駅列車もそこそこ好きなんですが、
  7〜9時間も電車に乗り続けるのはさすがにツライ。
  各駅に乗り慣れてる身にとっては、新幹線は夢のような乗り物です。
  料金もベラボウですが。
  
  新幹線なので早めに着いた、新宿で食事でも摂ろう。   

新宿で話題の店と云えば、ベルク。
ドイツ系のビア&料理が名物で、
狭い店内だが実に格好良い
ビアカフェになっている。

しかも旨いものが大好きな私も
唸ってしまう、ハム・ソーセージ・
パテ・ズッペ、そしてビア。(隊長作)



  新宿駅東口地下にあり、「新宿 ベルク」と検索すれば山のように出てきます。
  
  ネックは混んでいる事。この時は11時過ぎだったので、
  まだ空席がありましたが、食べ終わった頃(11時半)には行列が出来ていました。   

新宿東口地下でも通行量が
特に多い通りですし、
お店の外観もオシャレ、
ドリンクも料理も美味しく、
しかも安い。

流行らない訳が無い。

(隊長作)


  池袋に着くと、ウエストゲートパークは古本市開催中だった。
  沢山の古本屋がテント出店していて、一軒一軒覗いていくのが楽しいのだが、
  ブックオフのあいうえお順に整頓された書棚で本探しに慣れた身にとって、
  文庫本ごちゃ混ぜ陳列を一軒一軒バラバラに探して歩くのはツライ作業。
  
  こういった所にこそ、お宝本が埋もれているような気もするが、
  結局は流し探ししてしまう。   

成果もなし。

3時間くらい時間があれば、
本腰入れて探すんだけど、
日帰り東京なので
泣く泣くコンサートへ。

  
  さて、新交響楽団は今回で3回目。
  ニールセンの第2番、ショスタコの第4番と、もうすっかりお気に入りの楽団。
  
  しかも今回はマーラー第6番。超大型ナンバーが続いてますが、
  こういった実力派はどんどんやってって下さいな。
  しかしマーラー第6番もよく採り上げられるようになったもんです。

  今年7月はジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラも、第6番を採り上げますし、
  8月は愛知教育大学管弦楽団同窓会が第5番、10月神戸市民交響楽団が第9番、
  11月藤沢市民交響楽団が第8番と着々と続きます。
  (隊長作)

まさにマーラー・ルネッサンス。
  昔はここぞという演奏会は第九とかチャイコだったのでしょうが、
  今ならマーラーとかリヒャルトって感じですね。
  よしよし、本当に望むべき流れになってきたぞ。
  
  今回のカプリング曲、ウェーベルン。
  ドホナーニやシャイー盤なんかが、よくマーラーと組み合わせてましたよね。
  しかしどうなんだろう、マーラーが好きな人が、新ウィーン楽派も好きなのか?
  
  ちなみに私は、新ウィーン楽派、大嫌いです(まともなメロディが無いから)。
  案の定、6つの小品はちっとも珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)。
  作曲された時代は、ウェーベルンが1909年、マーラーが1905年と近い。
  でも年代が近いというなら、1905年を描いたショスタコの第11番「1905年」
  だっていいじゃない。
  ちがうか?
  
  学術的にはウェーベルンとマーラーの対比は面白いのかもしれないが、
  聴衆的には面白くない。

  マーラーのロマンチストで悲劇的な悲しみは、シベリウスの管弦楽曲
  (「悲しきワルツ」1903年など)と組み合わせた方が合うと思うし、
  独墺系にこだわるならR・シュトラウスの「サロメ」(1905年)なんてのも面白い。

  まぁ、難曲この上ない事はよく判ったんですが、こういうのが好きな人も
  世の中にはいるんだろうなぁと、人間の嗜好の広さに想いを馳せる。
  現代ではマーラー的な音楽より、ウェーベルン的な音楽の方が、
  現代オンガク界では牛耳っているんですから、面白いといえば面白い。
  

マーラーの感想を述べる前に一言。
ホルンが激的に上手い!
なんちゅう奏者なんだ、こうまで軽々と
悲劇的を吹きこなしている人は
聴いた事が無い。

プロだってなれるだろうに、いや、
プロだってこれくらい飄々と吹く人は
珍しいんじゃない。

  第1楽章、のっけから高速テンポ。
  高関健って、エキセントリックな立ち位置だったとは思うけど、
  楽曲解釈も攻撃的になっていて多いに共感。
  この、涙を振り切って風に向かって突き進むような疾走感が堪らないんだよね。
  
  重々しい第6番もやりようによっては味があるけど、突き進むような速い
  第6番冒頭もこれはこれで堪らない、刹那さが。
  
  第6番演奏のお愉しみの一つとして、第2・第3楽章の配列がある。
  悲劇的このうえない第1楽章を終わって、第2楽章をどうするか。
  おだやかなアンダンテを持ってくるか、再び攻撃的なスケルツォを
  立て続けに演奏するか。

  この配列は人それぞれの好みがあり意見も別れようが、
  血気盛んな私は当然第2楽章スケルツォ派。
  疾風怒濤の第1楽章がようやっと終わったのに、またまたスケルツォ。
  息つく間もなくスケルツォが続き、悲劇の嵐は吹き止まない。
  こんなシチュエーションが好き。
  
  しかし新響の演奏はアンダンテだった。
  ここにアンダンテを置くからこそ、第1楽章は猛突進を行った(行えた)のか。
  
  どうでもいい人にはどうでもいいような話だが、第6番が好きな人には
  あれこれ考えても尽き無い   (隊長作)

酒の肴。
  
  第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォ構成だったが、全般としては
  攻撃・攻撃・攻撃あるのみ、といった猛攻演奏。終楽章は三十分に亘る長丁場だが、
  攻撃の手を緩めない高関ちゃんに団員は興奮の坩堝。   

完奏し終わった演奏者たちが、
戦い抜いた戦士たちのように見えた。

1月のショスタコ4番にまでは
至らなかったが、アイノラ響のシベ4と
並ぶほどの満足感と感動が得られた。
さすが新響、感動させない演奏会は無い。


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  *** 過去の 『新交響楽団』 なコンサート感想。

    * 新交響楽団 小松一彦指揮 / ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 他

    * 新交響楽団 山下一史指揮 / ニールセン 交響曲第2番「四つの気質」 他
















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