(隊長作)

2010年1月16日(土)  18:00   - 290 -    訪問者数


     大阪大学交響楽団   黒岩英臣 指揮    
     京都コンサートホール

      ボロディン     歌劇「イーゴリ公」序曲
      ビゼー       「アルルの女」第2組曲
      チャイコフスキー  交響曲第4番

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  大阪大学交響楽団は、今回で2度目。
  09年12月に大阪大学外国語学部管弦楽団を聴き、機会があれば阪大響も
  聴いて「聴き比べ」がしてみたいもの、と思っていた次第。

前回は07年7月の「夏」の演奏会
(シューマン第4番、シューベルト「未完成」)
だったが、夏と冬ならどうしても冬の方を
聴いておかないと本領を聴いたとは言えない。

今回たまたま一月違いの冬の定演同士を
聴いたのだから、聴き比べには持って来い
と言えるのでは?
(隊長作)
 

  阪大外語管(以下外管)はニールセンの第2番を選択したからこそ聴きに行ったようなもの。

  今回の阪大響はチャイコ第4番であり、チャイコの中では屈指の金管交響曲だが、
  わたし的にはあと一歩時代遅れ感を拭えない選曲。
  チャイ5でも「悲愴」でもなく、チャイ4を選んだんだ!という気概は分りますが、
  「だけど、チャイコじゃん」と思ってしまう。

  最近、私が啓蒙活動していたニールセンが採り上げられ始めてます。
  エルガーやステンハンマルだってアマオケが採り上げ済みなので譜面は何とかなるだろうし、
  東海関西ではショスタコがまだまだ少ない(第5番ばっかり)。

  大阪シンフォニカーがアッテルベリ第6番を渾身の力でぶつけてみたものの、
  後に続くオケは関西皆無。ほんま、関西って保守派。
  一部、強烈な光を放ってる過激派の存在を忘れてはいませんが、大多数は
  保守派。学生さんはクラシックに出会って数年しか経ってないんだから
  しょうがないけど、私の学生時代は違いましたよ。

高一は、ハイドンやモーツァルト。
高二で、マーラーやショスタコ。
大学時代はアイブズやニールセン
に目覚め、ショスタコの演奏会を
どうしたら出来るか、真剣に悩んでました。
(ちなみに、ほとんどの現代オンガクは、
理解できないまま) (隊長作)

  大学に入って、ようやくクラシックを聴き始めた学生諸君よ!
  まずはベートーヴェン、まずはブラームス。
  うむうむ、第一歩として順調だ。
  モーツァルトやバッハ、ハイドンも聴いとかにゃならんし、
  交響曲と言えばチャイコフスキーやドヴォルザークも知らないとね。
  女の子と話すには、ラフマニノフやショパンのPコンもチェックしとこうぜ。

  しかぁし!
  この辺で大学4年間が終わる、ミーハーが多過ぎる。
  どうして、もっと他にも面白い音楽はないのか?と知的欲求が出て来んのだろう?
  みんなが聴く音楽を聴いてたら、安心するのかな。そもそも本質的に超保守派が
  クラシックに興味を持つのかな。

  私は、今でも新規開拓に余念がない。
  ここ数年だけでも、マリピエロやアッテルベリの真価に気付いたし、
  チェレプニンは自分に合わなかったなぁとか、ルネッサンス音楽をもう一回
  聴き直してみようと集め出したりと、永遠の試行錯誤。
  ブラームスやベートーヴェンが素晴らしい事に異論は無いが、音楽の最高峰を
  知ったら、他の山稜は興味なし、という人がいる。

  こればかりはそれぞれの趣味嗜好価値観の違いって奴かもしれんが、
  若い間は未知との遭遇に邁進して欲しい。若い間に一人でも多くの作曲家を
  知っておけば、きっと後年柔軟な鑑賞力を維持できると思うんですよね。
  

さて、感想。
大阪大学なのに、「京都」コンサート・ホール。
何かしら裏話があるのだろうが、実に面白い試み。
京大が大阪で演奏してるから、
阪大も京都コンサでぶちかみして
みたかったのかな?

こういう試みは面白いし、
若者らしくて大変有意義。

  出来れば、滋賀(びわ湖ホール)、奈良(やまと郡山ホール)、
  神戸(兵庫県立芸術文化センター)なんかも
  トライしてみて欲しい。集客が大変だろうけど、心ある地域住民なら、
  他府県の大学が殴り込み遠征してきたら聴きに行きたくなるもんです。

  京大と阪大が合同演奏会を開いて、演奏勝負とかしたら早慶戦みたいで
  関西人ならきっと興奮するはず。同志社と立命、関大と関学でもいいしね。
  とにかく普通に単体で演奏会開くだけでもご苦労極まりないのは判るけど、
  ぐいっと踏み込んだ企画をやってこそ学生生活だと思う。
  絶対面白い事になるだろうし、競争こそが活性化への第一歩だと思う。

  ボロディン。
  弦はゆったりした箇所は美しく響くが、テンポが速くなると音が響き過ぎる
  ホールなので音の粒が混濁してゆく。折角細かなパッセージも頑張って練習して
  きたんだろうに、よく判らなくなってゆく。
  クラが目立って上手かったが、全体は手堅くこじんまりした纏め上げ。
  前プロとしてはかなり高水準な出来。

  アルル。
  恐ろしいフルート・ソロもなんのその、良くぞ採り上げただけはある演奏。
  ティンパニも硬い打撃音で、このボヨボヨ音響ホールを見事に逆手にとって、
  格好良いシャープな演奏。

  チャイ4。
  旧帝大のオケというのは、総じて演奏はハイレベルだ。
  今まで数々の名門大学オケを聴いてきたが、演奏技術はどこも大したものだった。
  各大学毎年聴きに行っている訳ではないので、たまたま行った年度の演奏に
  限定した感想になってしまうが、神戸大と名大が素晴らしかった。
  ここ阪大も十二分な演奏技術はあるが、そこから先はどうか?
  

まずはきちんと弾くこと、
基本が大切と教えられて
練り上げられた演奏に
聴こえた。

確かに、作曲家がこう演奏して欲しい
と訴えている事を、守るのは基本だし大切。

しかし、これを第一義として演奏していたら、
技術競技みたいな演奏になってしまう。

  そこで、指揮者が個性を発揮して音楽を味付けてゆくはずなんだが、
  薄味が多い指揮解釈が多い。

  今回の指揮者、黒岩英臣は同志社女子大学音楽学科管弦楽団のとき、
  昨年9月に聴いたばっかりなんだけど、あのときの演奏はなかなか良かった。
  なのに、今回の演奏は・・・普通の演奏だったんだな。
  たとえば、第2楽章。

  弦が愛を歌い、木管が冷静になるようにと諭す。
  幾度も弦楽器による熱情の歌い上げと、木管による戒めが繰り返されるうち、
  弦の想いは押さえがたくなってゆく。ここで、抑え難い気持ちを切々と
  表現するにはテンポを高める(速める)べきだが、あくまでインテンポを守る演奏。
  皆さんも一度、お持ちのチャイ4第2楽章CDを掛けて、このシーンがじわじわと
  テンポ・アップされていったらと想像してみて聴いてみて下さい。

  弦と管の掛け合いが絶妙に素晴らしかっただけに、そもそものアプローチが
  指揮者と自分の中で違った事が判り、落胆。演奏そのものは弦楽器および木管群が
  素晴らしかっただけに、いつものようにテンポ設定ひとつでこうも感じ方が
  変わってしまう自分自身に恨めしく思ってしまう。

チャイ4をあまり聴き込んでいない
聴衆だったら、十分堪能できた演奏だった。

しかしCDを百回以上、実演でも十回以上
聴いているクラシック・ファンあたりになると、
こういった名曲をオーソドックスに演奏されると、
しばらくすれば記憶から薄れていく。
あれだけ頑張って苦労して演奏会に向けて
練り上げてきたものが、聴衆の心からそよそよと
消えていってしまっては悲しすぎる。

  折角努力して苦労するんだから、一生とまでは行かないまでも、この一年間くらいは
  「今年一月に聴いた演奏会が未だに強烈だったなぁ」と言わせたいじゃないですか。

  そうするためには正攻法でキチンと基本を守る事も重要ですが、ここぞという箇所には
  自分達ならではのスパイスをぶっかけとかんと、毎週演奏会に行っている聴衆の
  心までは捕まえられない。

  これが年に一二回しか採り上げられない楽曲だったら違うんですよ。
  珍しい曲というだけで、記憶に残ります。
  でも、チャイコは珍しくない。
  現にチャイ4は岐阜大のコッテリした演奏を聴いたばかり。
  正直、岐阜大であんな懸命極まる演奏に出くわすとは思っていなかっただけに、
  サプライズ演奏だった。

  逆に、阪大は超名門なだけに期待も大きく、ハイレベル演奏だけでは
  当たり前に感じてしまい、ひどく可哀相なのかもしれない。


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