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コンサート感想


2011年5月14日(土)18:30  大田区民ホール・アプリコ大ホール
横浜国立大学管弦楽団 / 新田ユリ 指揮
 シベリウス : 春の歌
 フォーレ : 組曲「ペレアスとメリザンド」
 シューマン : 交響曲第1番「春」

(隊長作)



一つでも多くの楽団を聴いてみたい、そんな想いでコンサートに行ってます。
今回は、「ヨココク」で親しまれている横浜国立大管。
わざわざ「国立」と付けているのは、横浜「市立」大があるため、
区別して呼称するためでしょう。

偉い国立だから横浜国立の「国立」などいらぬ、横浜大学で十分じゃ、
といった不遜な考えがないのが好ましい。
もしくは横浜市立大が先にあって、あとから横浜国立大が出来たから
国立を付けざるをえなかったのか・・・な?

大阪には阪大、市大、府大と大阪と冠する三国公立大がありますが、
当然のように阪大は大阪大学であって、大阪国立大学などと呼びません。
名古屋大と名古屋市立大学もしかりです。

東京近辺の大学を物色すると、自分の学生時代を思い出さずにいられません。
世に大きく出るには東京界隈の大学に行くべきであって、地方に潜んでいては
駄目なのではないか。

そのためには東京の大学に行きたいのだけど、金銭的に国公立大学に
絞らざるをえない。東大や一橋、東工大などに行ければそりゃ万々歳だが、
それはチトかなわぬ。

そこで東京界隈の二流大学を日々物色するわけです、
今思い返しても涙ぐましい話です。
(隊長作)
都立大(現首都大東京)を手始めに、電通大、農工大、学芸大・・・
東京水産大(現海洋大)。

専門性や将来の就職も考えると水産大は超お得で魅力的だったけど、
水産に全く興味を持てなかったので、流石に二の足を踏んだなぁ。
募集定員も少なかったし。

都立大と言ったって実際はタマ大学みたいなもんなんだから、
それなら横国や横市、埼玉大、千葉大・・・。

茨城大が関東の中では最も入れ易く、どうして関東かつ東京に
比較的近いのにこんなに偏差値が?と思ったものでした。
もちろん筑波大があることは知ってましたが、それにしても!
と思うのは私だけでしょうか。

だって、横浜は国立も市立も双方人気大学じゃないですか。
茨城がどうしてこうなのか、関東の人は判りますか?

横浜、千葉、さいたま、水戸の中では、水戸が最も田舎で
東京に出にくいのは判りますが、それでも東京に約2時間で出られます。
平日は静かなキャンパスで学問に専念し、休日は東京で文化を吸収する。
水戸での生活はかなり有意義なのではないか、と私は思うんですけど。



さてさて、横浜から全然話が逸れましたね。
私は京都出身なので、山国が好きです。
いつも山に囲まれ、山が見える街で暮らして育ちました。

大きくなって海のそばでも暮らしましたが、夏の風向きが悪いときは
潮風に乗って海のヘドロの臭いがしてきたり、暴走族が多くて驚いたものです。
どうして海に近いと治安も悪いんでしょうね?不思議です。

そんなわけで、あまり神奈川県や千葉県に行かないのですが、
今回は蒲田(アプリコ)の演奏会で行き易かったので、横国に行きました。
それに、シベリウス「春の歌」を前プロで採り上げた姿勢も買いました。

この「春の歌」はシベリウス作品番号16とあるだけに
若書きですが、かなり佳い曲です。8分ほど、なだらかで演奏し易く、
春のしみじみとした情感を歌い上げています。

作品番号16にしてシベリウスの特徴が十全に顕れていて、
この曲を知らない人でもシベリウスを感じさせる力があります。

そしてもう一つの選定理由、指揮者・新田ユリちゃん。
アマオケ界ではすっかりシベリウス演奏の第一人者となりましたが、
この人のシベリウス普及活動は素晴らしく大きい。

こうやってシューマン「春」演奏会の前プロに、「春」つながりで
シベリウスを組み込んでくるテクニック!
しかもシベリウスにしては「演奏し易い」佳曲、長さも佳いし、題名も佳い。

管はロングトーンが多く詰まらなさそうだったが、弦は演歌を歌うように
たっぷりと弾き込め、初心者の運弓練習にも良さそう。
ただしアプリコ・ホールは響き過ぎるので、シベリウスのような
響かせる音楽は向いていない。

また、シューマンのような管弦楽技法に難のある音楽も、向いてなかった。
アプリコは駅に近いし綺麗だが、音響が悪い残念なホールになってしまった。

(隊長作)

メイン、シューマンの「春」。
私も学生時代この「春」に取り組んだので、大変不本意ながら
シューマンについてはあれこれ調べたり学びました。

どうせなら、ショスタコとかマーラーについてあれこれやりたかった。

まず、シューマンは梅毒で死んだ。
これが決定的に、私をシューマン嫌いにした原因。
そんなこと言うたらベートーヴェンやニーチェとか当時の多くの人が
そうでしょう、となってしまうのですが、クララとの恋や愛のエピソードが
多い叙情性豊かなシューマンが、梅毒に脳まで冒されて死んでしまったなんて。

悲劇すぎる、16年間も結婚生活を伴にし、8人も子供をもうけた
クララにはうつらなかったのか?彼女に病気がうつってなかったとすれば、
シューマンの梅毒説はどうも怪しい。

次に、彼の交響曲は4曲ですが、彼はピアニストだっただけに
「管弦楽技法が未成熟で交響曲の響きが濁ってる」という通説を知った。

これを当時の学生たちはことさら大きく捉え、自分たちのハーモニーの
汚さを棚に上げ、演奏がクリアに行かないたびにスコアの不備を
指摘したりして悦に入っていた。

全く笑止千万とはこのことですよ、仮にも
大作曲家シューマンが書いた交響曲ですよ。

子供の頃からピアノを学び、作曲を積み上げ、いくら管弦楽技法が
未熟だとは言え、それはあくまで他のシンフォニスト達と
比較した場合なだけであって、響きが上手く行かないからって、
それならそれで指揮者や奏者が工夫すればいい。

よく技術系会議でそんな話を得意げに語り合う場面が出ては、
私は鼻白らんでいました

逆に考えれば、モゴモゴ・ボゴボゴとした響きこそ、
シューマンが「新しい響き」と妄想して書いたのかもしれないんだし、
主旋律が埋もれるのも彼の交響思想だったのかもしれない。
なんせ、病に冒されつつあったのだから。

さて、横国の演奏は、野太いマジックで一本書きしたような演奏。
ワンワン・ホールなので、微細な彫琢はほとんど聴き分けることが出来ない。
指揮者が色濃い演奏指示を出すので、大きな浮き彫りは効果があった。

そこへ豪放な演奏が重なるので、マジック書きのような分厚い演奏になった。
本来はかなり上手い演奏なのだろうと思われ、この曲をこのホールで
やってしまった誤算が大きかった。


最後に、横国と横市の選曲について考えてみたい。
2011年の横国は、5月にシューマン「春」、ブラームス第2番。

ただし5月にはシベリウス「春の歌」を、12月にはドヴォルザーク「チェコ組曲」を
採り上げた様に、メインは安定志向だがサブで冒険をしている。

一方、横市は、なんと5月は同じシューマン「春」。
フィンランディアと未完成という組合せなので、全くの保守プログラムである。
しかし12月が凄かった、チャイコフスキーのマンフレッド交響曲をやったのだ。

付け合せは大学祝典とカルメン抜粋だが、メイン・マンフレッドには度肝を抜かれた。

これを知ったとき、必ず聴きに行きたいと思ったのだが、師走も年の暮、
しかも平日演奏会だったので諦めた。

まったく、こんな意欲的演奏会をしておきながら、
平日演奏会とはなんと言う事だ。
(隊長作)
学生オケのマンフレッドなんて十年に一度あるかないかなんだから、
そこんとこよく考えて演奏会日程を組んで貰いたい。

この流れで何が云いたいかと言うと、
「横市はマンフレッドのノウハウがありますよ!!」と言うコト。
是非、貴大に倣って、マンフレッドに挑戦してくれる学生が
現れんことを願ってるわけです。


(隊長作)

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