MMF

コンサート感想


2011年7月31日(日)18:00 すみだトリフォニーホール
新交響楽団 / 井崎正浩 指揮
 プロコフィエフ : スキタイ組曲「アラとロリー」
 ハイドン : 交響曲第101番「時計」
 チャイコフスキー : 交響曲第5番

(隊長作)

ちょっと未来の演奏会だけど、2012年10月21日の新響第219回定演は、
なんとコープランド交響曲第3番。

指揮者は好みでない曽我大介だけど、コープランド3番と来ちゃあ、
行かずばなるまい。

ここ新響のプログラムはほんと秀逸で、年4回定演制と頑張っているが、
うち1回は必ず私好みのビックリ演目が入ってくるので聴き逃せない。



今回もチャイ5とプロコを組み合わせるプログラミングだが、
わたしはコレでイイと思う。

勿論オール・プロコ・プロなんてしてくれたら随喜ものだが、
どうせプロコばかりだとブーたれる一派が現れるのが目に浮かぶ。

(隊長作)

そこで多くが愛するチャイコフスキー、しかも文句のつけようがない
第5番「大運動会」と絡めるんだったら、プロコの一曲くらい目も瞑られよう。

ここでキージェ中尉やロメジュリといったメジャー曲でなく、
「いい曲なのに演奏頻度が少ない」スキタイ組曲を
採り上げてくれた事に意義がある。

これは爆音大音響の凄まじい阿鼻叫喚な音楽なのだが、
よく聴いてみると相当な難易度も要求されている。

ただデカイ音で喚き散らせばいいというもんじゃなく、
小さな銀細工を、幾重にも重ねているのに、その上から
暴力的に墨汁とかペンキを、ドヴァーッとぶっかけてしまう。

しかし小さな銀細工が精巧で精妙でないと
ぶっかける凄みが出てこず、被虐的な喜びに繋がらない。

だから大音量が出せるだけでは採り上げる訳にも行かず、
新響のようなワレこそは!といったオケで無いと
採り上げられないのだ。

演奏は「タメ」に重きを置いた取組みで、
ドラティのような速攻演奏ではなかった。

しかしこのネチっこいテンポは交響曲第2番や第3番にも通じる、
おばけが出てきそうな妖しいかほりがプンプンと広がり、
これはこれで面白い効果があった。

また、CDではなかなか拾えないピアノの重低音が
ナマ演奏ならではの効果を出しており、トリフォニーがもう少し
響かないホールだったらもっとクリアにピアノの動きが伝わったのに。



中プロはハイドン。
たまにはハイドンも聴いてみるのね、と聴き始めたが、
プロコの次だったこともあり、あまりの詰まらなさに愕然。

年齢とともにこういったピュアな純粋音楽の美しさを
単純性のココロが現れる一瞬が来ても良さそうなのだが、
プロコやアッテルベリですっかりココロが汚れてしまったのだろうか。
わたしがハイドンの美しさに、唾を飛ばして語る日はいつか来るのだろうか。

メイン、チャイ5。
何度も書いて恐縮だが、チャイ5は4回くらい実演で弾いたので、
聴いていても自分のパートを追っかけ自分も演奏していた頃の
気持ちで聴いてしまう。

それでいて心底好きでもないので冷静なままで、
演奏者がノリに乗って分限を超えてイキイキとしてくるのが良く伝わる。

チャイ5は実に不思議な曲で、聴く側としては
ハイレベルの音楽も、演奏する側からすると左程ではない。
これは音が連なっていることが一番の要因だと思うのだが、いかが?

喜びも哀しみも怒りも全てを乗り越えて終楽章に達するカタルシス。
弾いているうちに悲劇の主人公になっていき、演奏している方が
感動してしまう不思議な曲。

それは観客を白けさせるどころか、聴く側にも感動を伝染させてしまい、
大団円のうちにコーダに突入する。何度聴いても良く出来すぎた曲で、
アマオケに最も愛されている交響曲はこの曲に違いない。


注:指揮者井崎氏のサキの字は、山へんに大+可でなく、
山へんに立+可です。文字化けするのでやむなく「崎」にしました。


過去のコンサート感想。

inserted by FC2 system