12月18日(日) 18:45 - 65 -
河地良智指揮 新潟大学管弦楽団 ミューザ川崎
プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第3番
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
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関西の有力大学(京大や同大)が東京殴り込み公演、というのは
ままあるんですが、失礼ながら「新潟大学」がやって来るとは驚きでした。
実はワタクシ、うら若き18歳の時に新潟大学を受験した苦い経験がございます。
鉛色の白い空、3月なのに肌に染み込むような寒さ。
新潟駅からバスに揺られて、どんどん田舎になった所に広大なキャンパスがあった。
あの時、合格していたら、私と新潟は切っても切れない関係となっていたんだろうし、
今頃新潟で暮らしていたかもしれない。
そんな事もあって、新潟大はメッチャ応援したくなる学校なんですが、
演奏は感動しなかった。
今日はそのあたりの心について、書きたいと思う。
我々のコンサート選択基準は幾つかあるんだけれど、一番重要なのはプログラム。
そして、隊長も申しておりますように、指揮者。
その指揮者が活動しているうちにどうしても聴いておかねばならない楽曲というものがあって、
大好きな指揮者だからと言って、なんでも良い訳でもない。
しかし、そうそう巧く問屋が降ろしてくれるでもなく、
ギーレンがショスタコ13番をやるとか、
ベルグルンドがもう一度シベリウス・ツィクルス連続演奏会(過去ヘルシンキであった)を
やってくれるとかは、なかなか無い。
3番目は珍しい楽団や、珍しいホールでの催し。
今回の新潟大管&ミューザ川崎はまさにこの取り合わせで、
なおかつプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番が
絡んだので手放しで駆けつけた。
しかし感動しなかった。
少しくどいね。
隊長はプロコのPコン3番には一家言あり、なかなか五月蝿いんだが、
この人が意外と誉めていた。
たしかに若手ピアニストは颯爽と弾きこなしていたし、
オケは弾く事自体が超絶で賞賛されるべき事なんだけど、普通の演奏でもあった。
常日頃、アルゲリッチ&アバドの名盤で聴いているのが
大きすぎるハンディ・キャップだったんだとも思う。
メインの「悲愴」
これは正直、詰まらなかった。
いやいや、全く上手にしっかりと弾きかつ吹いてたんです。
そして割れんばかりの拍手喝采、と大成功のコンサートだったのです。
遠く新潟の地よりやってきて、これだけの演奏を川崎に残した。
まったく立派なことであります。
だけど、ねぇ。
なんでかなぁ。
映画とかでもあるでしょ。
話題の映画で、結構作りこんであって、いいシーンも多い。
でも、感動できたか、というとチト違う。
何が足りなかったかは分からないんだけど、今ひとつ不満足。
最近チャイコフスキーが面白い、と「モーツァルティアーナ」や「マンフレッド」なども
買い込んでいるんですが、最近ナマで聴いた「レニングラード」や「マラ10」と比べると、
どうにもこうにも大好き度が劣る。
私の中のチャイコ熱が冷めかけていた時期でもあったのか、
タイミングの悪い演奏会だったと思う。
そんな次元で、こんな事を書かれる方は頭にくるでしょうが、
演奏の良し悪し(演奏は秀逸でした)でなく、好悪を述べているに過ぎませんので、
何卒ご容赦下さい。