(隊長作)

11月24日(土)  19:00   - 166 -    訪問者数

    大阪府立大学交響楽団   加藤美那子指揮    大阪狭山市文化会館

     シューベルト   「ロザムンデ」序曲
     チャイコフスキー 組曲「眠れる森の美女」抜粋
     プロコフィエフ  交響曲第7番

  ososososososososososososososososososososososososososososososososo
  
10月7日のSNS管以来の大阪。
11月24日は、この府大コンサート以外に
最後まで悩んだ別ルートがありました。

それは、伊丹梯子コンサート。
いたみホールと伊丹アイフォニックホールは、
ほぼ近隣しているそうで、

  チャンスがあれば梯子してみたいと狙っている。
  そんな折、この日、ウマく梯子できる演奏会が繋がった。
  
  16時いたみホールにてグリーン交響楽団が、伊福部の交響譚詩とベト7。
  18時半アイフォニックホールにてかぶとやま響が、
  ストラヴィンスキー交響曲ハ調とチャイコフスキー第5番。
  16時から21時頃まで、伊丹で腹一杯になる交響楽ゾーンだった。
  
伊福部とストラヴィンスキーにかなり惹かれていたが、
隊長の猛烈なプロコ支持に蹴倒され、
大阪府大に決まった。

せめて16時からのグリーン響の
伊福部(中プロ)まで聴いてから、
南下して大阪府大のプロコ7番だけでも聴こうか。

そんな折衷案も残ったが、
どちらも中途半端な鑑賞になるし、
道路渋滞に捕まったら隊長至上命令の
プロコ7番が危うくなる、ということで
大阪府大一本に決まった。

  伊丹のみなさん、お会い出来なくて残念です。
  次回も是非、意欲的なプログラムを組んでくださいね。
  プロコやショスタコ、ニールセン、パリーにRVW、エルガー、
  ベルワルド、ステンハンマル辺りの交響曲だったら万難を排してでも
  駆けつけますんで、よろしくお願い致します。
  
そんな思いまでして駆けつけた府大コンサート。
果たして我らの期待に応えてくれるのか、
大阪狭山市へと乗り込んだ。

この街もホールも初めて。
サヤカ・ホールとの命名は、
さきら・ホールと似ていて、
どうして地方はこうした愛称を
付けたがるんだ?

  どうせなら大阪狭山芸術道場とか、狭山ムジークフェラインとか、   (隊長作)

ぶち上げた命名の方が笑えるんですけど。
  外部はなかなか小洒落ていて、内部はちょっとリッチな文化会館、2階式。
  
  序曲は「ロザムンデ」。
  出た〜!
  この曲は何度聴いても頭をひねる。
  どうしてこの曲が選ばれるんだろう。
  楽譜があり、過去演奏会の実績があり、1年生の技巧不安が少なく、
  辛(かろ)うじて旋律がマシだからか。
  
  1年生の冬の定演序曲、初めて舞台を踏む奏者も多い。
  一生思い出に残る曲でもある。
  自分たちで決め、自分たちで納得の上弾いているんだろうが、
  上級生も熟慮の上、この曲に決めたんだろう。

  ブラームスの悲劇的序曲や、ワーグナーのパルジファル、
  マイスタージンガー、こうもり序曲などある。
  このオケは76年冬、レスピーギ「リュートのための古代舞曲とアリア」
  第2組曲をやった記録がある。

  30年前の先輩には、いかに先見の明があったことか。
  第3組曲で無く、堪らない味わいのある第2組曲を選んでいる点が、猛烈に深い。
  ただし、今の彼らはメインが違う、その点は30年前の先輩方を
  遥かに凌駕している。
  (ちなみにレスピーギとの組み合せは、モーツァルトとベトベンだった)
  
  組曲「眠れる森の美女」は抜粋ながら、たったの3曲。
  え?!もう終わりなの?
  前プロと併せても30分もあったかどうか。
  いかにプロコに心血を注いだかが、このプログラムでも分かる。
  ちなみに、組曲「眠れる森の美女」はとんでもない超絶演奏CDがあるよ。
  ロジェストヴェンスキー盤なんですが、あの爆発力、
  その後の歌いっぷりの激しさと切なさ。
  見つけたら、買って損はナシの名盤。
  
休憩後、いよいよ伊丹を捨ててまで
馳せ参じたプロコの第7番。
これだけ期待して聴きに来ている観客が
いることを知ってか知らぬか、
音楽は始まった。

指揮が学生であり、美しい女性。
左手をほとんど使わず、
右手一本のスタイル。


  演奏解釈は各所独特なこだわりを感じられ、そこを遅くするのか、
  そこにアクセントをつけるのか、と数々変わった演奏だった。
  
  第7番を選んだだけでも独特。
  ほとんどの大学オケが自称プロ指揮者を招聘するのに、
  学生指揮であることが独特。

  男女平等社会であるが、やはり女性指揮者はまだまだ少ないのに、
  それをも軽々と乗り越えており独特。
  まったく、前2曲が平凡だっただけに、がらりと独自性を打ち出した後半は、
  異例尽くしだった。
  
  プロコフィエフはバレエ音楽「ロメオとジュリエット」や、
  交響曲第1番や第5番は市民権を獲得しつつある。
  しかし大学生の間では、ロシア音楽と言えばチャイコフスキーであり、
  シェヘラザードであり、展覧会の絵や禿山の一夜である。

  プロコフィエフはまだまだゲンダイオンガクであり、難しそうなオンガク。
  そんなレベルだと思っていただけに、こうして第7番が登場してきたのは   (隊長作)

嬉しい。しかし、しかし。

  楽団全体がプロコ熱に魘(うな)されている演奏には聴こえなかった。
  プロコの中ではかなり聴き易い第7番であり、他の番号よりは技術的にもラクなはずだ。
  しかしチャイ5や「新世界」のように、弾く者達までもを熱狂させるような曲でもない。
  
  どのような経緯で、この曲が選曲され、練習されたんだろう?
  そして彼らは、いま、どんな気持ちで演奏しているのだろう?
  いろんな思いに絡められながら、プロコフィエフを聴いた。


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