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コンサート感想


2008年2月11(日)14:00  東京芸術劇場
オーケストラ・ダスビダーニャ / 長田雅人指揮
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第9番
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第11番

(隊長作)

第4次東京遠征三日目、4つ目のコンサート。
今回も最後を飾るにふさわしい、超目玉演奏会。

東京駅 銀の鈴

祝日の東京はどこも雲霞の如し、人々であふれている。
上京して休日を楽しもうという人は、どんどん増えているようで、
東京駅も池袋駅も多いというより、ひどいありさま。

手荷物を預けようとコインロッカーを探し歩くが、
どこもかしこも空きが無い。

みんな手荷物を預けて身軽になり、さも東京人のような顔をして、
街に繰り出して行くのだろう。地方に住んでみて、
改めて、東京の素晴らしさを再認識する。

珍しく30分以上も前にホールに入り、芸劇名物の長大エスカレーター
(5階まで一直線)を眺める。

芸劇名物の長大エスカレーター

引きも切らずに、ダスビの演奏をめざして、人々が昇ってくる。
親戚友人御一行だけでは、これだけの人は集まらない。

15回も演奏会を重ね、すっかりダスビは2月の名物コンサートになっている。

しかも今日は爆音に次ぐ爆音だらけの11番がメインだ。
どれだけの音響だろう。

今回、座席はステージ横。
右か左かは御想像にまかせるが、ここまで音に
圧倒されるエリアだと思わなかった。

もちろん、ダスビ打楽器だからこそ、音の塊がコンクリートのように
顔面にぶちあたったのかもしれないが、爆音マニアの私も、
この音圧には青くなった。

あまりの凄まじさに、金縛りにあった様に、体が動かない。
息をするのも難しく、これはすさまじい。

(隊長作)

やはり白眉は11番。

ノボロシスクも9番も、高水準な演奏。
だが、11番に絞って書いても、書き足りないかもしれない。

今回は、極力冷静に聴き、このオケの何がこうまで凄いのか、
冷静に分析してみたい。パート別には木管が群を抜いていて、
プロでは決してやらない一吹入魂の連続で、
この演奏に命を削ってゆくような吹き込みようだ。

こんなフルートやオーボエがいたら周りも感化されないわけがなく、
第2楽章の爆裂を過ぎれば、すっかり全員われこそが悲劇の主人公。
この曲の命運を握っているのはこの俺様だ、と言わんばかりのオーラバトラー。

劇的な音楽の壁を乗り越えた集団のみが、共感しているあの強固な連帯感。
トリップ&トランス状態がヤバイ世界への扉が開かれ、未知なる世界には
適わないような演奏が羞恥心や野蛮でさえある饗宴の喜びを知った状態は凄い。



結局、名演奏が産まれる時というのは、全楽団員が
別世界へスリップ出来るかに懸かってる。

間違ったら嫌だな、上手でないのに大きく出しゃばりたくないな、
品のない音は出さないように・・・。

そんな永年植えつけられた悲しい音楽教育から解き放たれ、
心は感じたまま、自分が思ったまま、真実を掴み取ろうと
演奏に没頭している。

まわり皆も、羞恥心や虚栄をかなぐり捨てて、裸の音をぶつける。
しかも、その音に囲まれた世界が別世界で快感をもたらせてくれる音は、
更なる快感を求めてゆく。

そんな状況が作り出された時、名演は作られているのだろう。



打楽器の辛辣な叫び、コールアングレの胸を指す歌、
フルートの音楽をする喜び。それらに励まされるように全員が
別世界へ突き進む。

今年は、もうこれ以上の演奏に出会えないだろう。
まだ2月だというのに。

ラストは大鐘が叩き鳴らされて終わったのだけど、演奏者全員が
時間が止まったように「大見得」のポーズで静止し、
私は「薔薇の騎士」の時が停まるシーンを思い出した。

この演出は視覚的には勿論、フライング・ブラヴォーを完全制圧する効力も
絶大で、ショスタコ11番の「名フィル・フライング・ブラヴォー事件」対策なのか?
と勘繰ったほど。

(隊長作)

あの大轟音に凍りついた聴衆が、全く気を呑まれて動けなかった、
というのも真相かも知れない。

過去のコンサート感想。

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