(隊長作)

「第九考」  - 11 -  (2005年12月)   訪問者数
  
  今年ももう幾日も無いので、これは来年以降の企画立案時に
  「是非!」ご考慮していただきたいのですが、結論としては
  「もうこのへんで、年末のベトベンの第九はやめようよ」という事。
  
  各プロ・オケやクラシック界そのものにとっても、
  年末の第九演奏会プラスそのCDの販売利益などは今や無視出来無い状況にある。
  それは十分分かっているつもりであるが、このような恒例行事化した、
  義務でやっているような演奏に、誰が感動していると言えるのだろうか?   (隊長作)

オケによっては約一ヶ月、ほとんど第九第九のオンパレードの日々。
  来る日も、来る日も、第九
  寝ても、覚めても、第九
  でも朝が来れば、今日も第九を...第九を弾かねばならない。
  
  さて、こんな生身の人間たちが、果たしてどれほどに感動的な芸術活動を
  成し遂げられるであろうか。
  逆に、より人間的で、心から音楽を愛する人こそ、心は反発し、聴衆には申し訳無いと
  思いつつ、音楽に集中できないジレンマに苦悩されてるんではないだろうか?
  
  一般聴衆は年に一度は「あのベートーヴェン様の第九」を拝聴しようではないか!と
  初詣初参りの感覚でコンサートに出掛けている人が多いんだろうが、
  そんな年に数回しか聴きに来ない金の卵たちに駄演を聞かせちゃってたら、
  折角のビジネス・チャンスもあったもんじゃない。

  彼らだってバカじゃない。
  第九だから楽しみに来たけど、あんまり良くなかったな...。   (隊長作)

俺に芸術への理解力が足りないのかな...。
  俺にはクラシックなんて、所詮無理な世界なんだ...。
  そんな風に、折角の上客を失ってはいないか?

  クラシック人口が増えない増えない減っている!と困っているくせに、
  ここぞというチャンスを無駄にしてしまっているのでは無いか?
  目先の利益追求(第九のことね)で終ってしまっているのでは無いか?

  そこでここからが、私の御提案なのだが、
  ひとつ検討してやって下さいませ。

  まず、ベトベンの第九は引き続き、やる。
  「ただし」、12月プログラムの全部が全部を第九にするのでなく、
  せいぜい三分の一くらいにとどめる。
  
  ベトベンの第九というのは、やっぱりイイ。
  イイものをやろう!という趣旨で年末第九が始まったんだろうし、
  世界平和人類皆兄弟といった年の瀬に聴く内容にも実にマッチしている。
  しかし、そればっかり。
  それ一色になっている事こそが問題なのである。
  
  「だって、第九チケットは完売できるし、それ以外の曲じゃぁ完売できるかどうか...」
  
  そんな声がすぐに聞こえてきそうだ。
  だけど、ほんとに「第九」以外に完売できる曲は無いのかい?
  あるでしょー、いくつかは。
  
  多くの聴衆は、年末にイベント的な、なにか凄いものが聴きたい。
  大名作・大管弦楽・大合唱曲。
  そんなものを聴いて、年末だからこそ凄い興奮と感動に酔いしれてみたい。
  
  でも、それが何だかは判然としない。
  そこで「みんなが言っている」ものに流れがちだ。
  しかし、これほどの需要が高まっている次期に、逆提案をしなくていいのだろうか?
  逆プレゼンこそ、聴衆は待ち望んでいるのでは無いだろうか?
  そして、我々クラヲタはその答えを知っているではないか!
  
  まず、大作であること。
  そして真の名作であること。
  そして、あまり演奏されにくいもの。
  
  これらを考慮するとおのずと、立ち昇る楽曲が浮かび上がってくる。
  (隊長作)
マーラーの交響曲第九番
ブルックナーの交響曲第九番

  どちらも第八交響曲も考えたのだが、一般へのインパクトとしては「第九」でしょう。
  哀しいけど、現実も忘れてはならない。

  マーラーの八番は超度級大合唱がついてるが、これは人員を手配すること
  自体が大変。
  同じくマーラーの交響曲第2番「復活」もかなりイイ。
  しかし、何一つマーラーを知らない人は、第2番より第9番の方が重みを
  感じてしまうのではないだろうか...残念だけど。

  ブルックナーは八番の方が完成された美しさを私は感じているが、
  多くの人には九番の方がインパクトが大きいだろう。
  そこへ「テ・デウム」を終楽章代わりに演奏して、
  作曲家ご指定通りの完成版として演奏してもいい。

  オルフの「カルミナ・ブラーナ」もいいのだが、今回は交響曲のみで
  論じてゆきたいと思う。   (隊長作)

マーラーの九番は今や幻の大名作では無い。
  ベトベンの九番と比較されては、あらゆるデータが見劣りしようが、
  多くの既存ファンの第九不満には格好のスケープ・ゴートになるばかりでなく、
  新規ファンの幅の広がりもみせるだろう。

  しかし、なんといっても効果的なのは、指揮者・演奏者たちの「やるき」だ。
  
  毎日毎日、ベトベン第九という連日連夜からは解放されるのだ。
  第九第九には変わりが無いが、ベトベン・マーラー・ブルックナーと順繰りにしてゆけば
  音楽の変遷も味わえるし、それぞれのスタイルの違いも実感できて、
  精神的にも向上した演奏が深化してゆくのではないだろうか。
  
  また、これら三者に限定せずとも、十二月は「第九月間」と称して、
  ハイドン、モーツァルトから始まって、そこそこの作曲家全ての第九
  とりあげるのも面白いのではないか?
  これによってシューベルトやショスタコ、ヴォーン=ウィリアムズの第九
  演奏頻度が増えるし、ドヴォルザークの第九も「考えてみたら、これも第九なんだよな」と
  新たな発見が出来るかもしれない。
  
  これが受け入れられれば、チャイコフスキーやブラームス・シベリウス・プロコフィエフなんかの
  「最後の交響曲」特集をするのもいい。
  こうなってくると際限が無いのだが、やっぱりまずは
  「ベトベン・マーラー・ブルックナーの三位一体サイクル活用」だ。
  これはイケルとおもうだが、どうでしょう?
  (隊長作)

【隊長も、ひとコト言いたい!!】
  3分の2を他のモノにしてしまうのは、危険なよーな気がしますが、
  「第九は、あえて行かない派」は、結構、生息していると思います。
  
  第九だらけの12月に、ぽつんと、シャレを効かせて、
  マーラー9番や、ブルックナー9番が入っていれば、
  その方々が、押し寄せる可能性は大かと。
  
  第九が好きではないヒトにとっては、12月はコンサートに飢えてしまう月なんですよね。
  そんなんがあったら、わしらも行っちゃいますワ♪
  
  そうそう、ポスターやチラシには、「マーラー」や「ブルックナー」の文字は、
  ちいさくしといて、『第九』ってトコロは、バぁーンと、どデカくね。
  袋叩きに合うのを覚悟で、どっかのオケ、やってくりー。
  
  
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