(隊長作)

新楽団設立について思う      - 15 -   (2006年10月)   訪問者数
  
  新設オーケストラのコンサートを聴いた。
  私は出来るだけ新設楽団のコンサートをチョイスしてコンサートに足を運んでいる。
  その理由は、無から有を産み出す時のエネルギーと、
  その奇跡的な美しさに立ち合いたいからだ。
  このお話とは、全く関係ない写真
逆に回数をこなして、
楽団員の多くが日常の仕事に忙殺されだしてくる
主要メンバーを抱えた楽団の方が、
一回一回をこなしてゆく事は難しいのかも知れない。

勢いとノリで、お祭り騒ぎのような嵐の中で、
第一回記念演奏会を開催する方が
楽しくて巧く行くかもしれない。

  しかし、この前聴いた、と或る第一回演奏会は、失敗に感じた。
  何が失敗だったのか。
  どうしてああなったのか、考えてみる。
  
  私も微力ながら、新設楽団や数回キリの楽団に関わった事がある。
  一つは今も有力なアマオケとして活躍著しく、一つは消えて無くなっている。
  もう一つは淡々と地道に続いている。   (隊長作)

この三つはどう違うのか?
  
  まず一つ目、有力楽団となっているケース。
  ここは明らかに、最初からレベルが違った。
  私は自ら請うて入団したクチだが、全員のレベルの高さは過去最高だった。
  
  そもそも練習時に譜読みしている人などいない。
  弾けない人などいない段階で、全体練習は進む。
  プログラムとした楽曲も最高難易度だったが、更にその演奏目標は
  究極的で、私のアマオケ人生の中でも最高の季節だった。
  設立当時のメンバーは今や社会の中核に移ろうとしており、
  主要メンバーは交代しつつある。
  ここからが、中興の祖が出るかどうかが肝心。
  このお話とは、全く関係ない写真
二つ目は、今は無きケース。
そもそも一回こっきりで遊び半分で立ち上げ、
2回目を開いたことさへ
奇跡だった。

こういった記念楽団は意外に多く、
それはそれで面白いと思う。

  この楽曲をやりたい、この人の指揮でオケを創ってみたい、といったケースに良い。
  オーケストラはそもそも音楽をやる集団だが、それを持続するには
  運営スタッフの地道な運営が欠かせない。
  そんな煩わしさを吹き飛ばすのが、記念オケだ。
  演奏会までは技術スタッフのみならず、運営スタッフも繁忙だろうが、
  一つの目標に向かって、刻々と迫る演奏会日に向けてアッと言う間だ。
  
  三つ目は、地域オケのこと。
  特に東京はもう無い場所は無いほどオケが乱立しているが、
  穴場的に存在しない地域オケもある。
  もしくは諸事情で独立・分裂・謀反など、近隣に独立楽団を作る場合も
  あるかもしれない。
  これは物凄いエネルギーと軋轢が生ずるのだろうが、
  やりたくてやってるのだからしょうがないだろう。
  
  先日聴いて来たオケはこのどれでもない。
  もう一つ、よく新設されてるオケ「大学OBオケ」だ。
  大学オケというのは浮き沈みがあり、毎年毎年粒揃いと言う事は珍しい。
  (隊長作)
数年に一度、偶然と奇跡が重なり合って、
オーケストラ一筋という強兵が多数集まることがある。

  そんな学年は切磋琢磨、しかし派閥や反目も経験しながら、最終的には
  同じ目標、凄い演奏をやり遂げたい、という夢に向かって結束してゆく。
  
  そんな学年は大学を卒業しても夢諦め切れず、いや、夢を更に膨らませて
  新楽団設立に進むのだろう。
  しかし時間に余裕のあった学生時代と異なり、練習時間の切り詰められた
  社会人オーケストラは諸般事情が異なる。
  いくら音楽が好きでも、社会人一年生になったものもいれば、大学院に
  進んだもの、フリーターや就職浪人など、各人の状況はさまざまである。
  
  学生時代は巧いヤツも下手なヤツも、練習をたっぷりしてた奴もぶっつけ本番でも
  なんとかこなしていた奴も、混濁して音楽は成り立っていたのかもしれない。
  このお話とは、全く関係ない写真
しかし全員の私生活面が
全くバラバラになった状態で、面子だけは
学生時代の仲間となると、
合うところは気心だけになる。

逆に気心が合うだけに、ズケズケものを言ったり、
逆に仲間うちの遠慮で
辛辣な忠告は出来ないかもしれない。

  大学OBオケも、設立後年数を経て、楽団員の層も多層化すれば
  各人の諸事情も分散され、リスクは分散されるのだろうが、
  大学卒業・社会人一年生が大半を占める層だと、
  かなりリスクの高い楽団になるのだな、と感じた。


   前へ  HOMEへ  次へ










inserted by FC2 system