雷(隊長作)

指揮者 要・不要論  - 1 -  (2004年3月)   訪問者数

  【 「指揮者不要論」を読んで 】
  
  以前、「オッサン・オブ・ジョイトイ」さんのHP記事を読み、少し考えてしまった。
  ちょいと部分引用しますので、ご覧下さい。
  
  vol.64『指揮者不要論』より〜  http://www.h3.dion.ne.jp/~wakachan/bakuretsu04.html
  
  昔から疑問に思うんだが、オーケストラや合唱団の指揮者って、必要なんですかね?
  こないだ小沢征爾が指揮してんの見てたけど、なんか一人だけノリノリで
  踊ってるようにしか、見えないんよね。
  一種のパフォーマンスじゃないかね?
  演奏の一番最初の出だしは何らかの合図をする人がが必要だろうけど、
  一旦始まったら、あとは大丈夫って言うか逆にいらないような気がする。
  (以下割愛)
  
  mnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmnmn
  
  我々クラシック・ファンなら、即座に「違う!」と叫ぶでしょ。
  そう思えるんだろうなぁ、と著者の感じ方を否定はできない。
  誤解の無いように、ねちっこく感ずるままに書きますね。
  
  まず、オジャワの指揮がどうこう言う気は無い。
  下手をすれば誹謗中傷に...あぐぐぐ...うぐ!
  シ、失礼。
  多くの名演や名盤は、指揮者と演奏者の魂のぶつかり合い。
  勿論そんな演奏にどちらが重要だとか、どちらが不要だとか云うのは無い。
  
  私が問題視したいのは「世の中、へっぽこで感動できない演奏・録音が多過ぎる」という暴言。
  
  あぁあ、書いちゃった。と我ながら自己嫌悪。
  しかし、そう思ってるんだから、しょうが無い。
  奇麗ごとを並べた文章ほど、詰まらないモノは無いし。
  
  私は御覧のように、そこそこコンサートに行き、CDを聴く。
  そして私も呆れるくらい聴きまくってるクラ・オタさん達は、結構いる。
  彼らや私達と共通している事は、みな感動しづらいという事。
  高校生の頃は、一日一回は背筋に電気が流れるような感動をしていた。
  自分の体はかなりおかしいんじゃないか?っつう位、感動しやすかった。
  
  大学・社会人とコンサートに通い始めた頃は、もっともっと一回一回のコンサートに身震いしていた。
  しかし、今では「うーん、こんなもんかな?」という事が多くなっている。
  
  素晴らしい名演を味わうと、指揮者と演奏者の皆様、ありがとう!と歓声を上げたくなる。
  逆に、何千円も払って休日の半分を失って、別にどおって事のない演奏に出くわすと、
  「あの野郎(指揮者)、やる気あんのかよ」と、フツフツと怒りさへ覚えてしまう。
  
  こんな時、外国人は意思表示があっけらかんとして、気持ち良い。
  蛆々ブツブツと陰口言ってないで、終演直後に速攻ヤジる。「ブゥー」なら、ほんの挨拶。
  「ピューピー」とか、怒鳴ったり喚いたりしている騒然としたコンサートに出会うと、
  これこそ聴衆だ、と思う。違う?かえって嬉しくなっちゃう。
  ブラヴォーとブーイング、歓声と怒号が混然とした演奏会が海外にはある。
  
  日本だって、野球やプロレスならあるのに、クラシックには極少。
  阪神を熱烈に応援しているトラキチさんが、クラシック・ファンだったら、
  さぞ面白いヤジが飛ぶだろう。
  「くぉら!どこ見て振ってんねん!シバクゾ、ほんまに!」みたいにね。
  それがイタリアやドイツにはある、らしい。
  決してお高いセレブだけの趣味じゃないんだよね。文化なんですよ。
  
  日本は「礼節」がコンサートには残っていて、一生懸命頑張った演奏家に対して
  拍手(礼儀)をすべき、なのだ。
  しかし、これは頑張って、それ相応の結果が出せれた人々へのみ、送られるものじゃぁないですか?
  我々は常日頃、頑張って働いたり学んだり。
  しかし何にも収穫のなかった日だってある。そんな私達へ上司は拍手してくれるだろうか?
  「今日も一日頑張ったな。手ぶらで帰ってきたけど、ご苦労さん」
  こんな事を拍手付きで言われたら...。
  それは今からもう一度、暗闇へ出て獲物を仕留めてこい!という最悪な嫌味にしか取れない。
  もしくはリストラが近いことを予感させられる。
  お前には期待していない、諦めてるよ、ってね。
  
  演奏家というものは、サラリーマンでは無い。
  腕一本で凌いでいる。
  それだけにプライドもこだわりも、我々一般人以上の気概があるはずだ。
  それなのに「悔しくないのか、お前達は」と言いたくなる駄演でも、
  平然と突っ立って拍手を浴びてる輩が多い。可哀想にさへ思える。
  (これはプロに対して感ずることで、アマは別だと思ってます)
  
  長い前フリで御免ね。そろそろ本題に入る、と思う。
  
  nxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnxnx
  
  【 指揮者要不要論 】
  
  今、オーケストラは世界的に財政難です。
  文化保護政策を取っていたドイツ等、音楽一流国も文化予算を縮小し、
  オペラ座の統合やオケの解体・合流が模索されている。
  なんっちゅうこと!
  
  一方、一流指揮者は高額のギャラを取り、世界中のオケを振り歩いている。
  
  いくらお気に入りのオケでも、無名の指揮者だと手が出しづらく、高名な指揮者だと
  期待は高ぶり、公演は人気殺到だ。それだけ指揮者次第で、チケットの売り上げは影響を受ける。
  
  金も取り、売上にも大きく関与する指揮者は、その演奏の重責を担っている。
  しかし名指揮者と云えども、毎回毎回100%名演という訳にはいかない。
  
  それは理解している。
  マツイが3割も打てれば大打者と賞賛されるように、指揮者も全試合全勝は無理っちゅうもんです。
  だけど、負け越してる指揮者も...いるよね。
  指揮者の好みは人それぞれだから、気に入る・気に食わんというのは誰しもあろう。
  しかし「なしてこの人が、いつまでも楽界で重んじられてんねん?
  どうしてこの未熟さでこのポストなん?」という意味不明な現象は、ある。
  この辺は、楽界に黒い部分があるようだが、それを突き破って真に優秀な
  指揮者を我々は評価・発掘すべきですよ。
  音楽誌や新聞等マスメディアが賞賛する指揮者でなく、自分が惚れ込める指揮者を自分で探すんです。
  
  誰もが認め、誰もが賞賛している指揮者。
  あなたにとっても、思い浮かぶ指揮者がいますよね。
  でも、そんな有名な指揮者より、感動させてくれた指揮者がいませんでしたか?
  一人くらいはいるでしょう、えてして無名な場合が多いけど。
  実力はあるのに、レールに乗っかていないばっかりに。
  
  先日、テレビでロボットが指揮者をやってる映像を見た。
  みなさん見ましたか?
  あれを見て、考える事ありましたよ。
  このロボットに、フルヴェンやチェリの指揮データを読み込ませたらどうなるんだろう?って。
  結構、客入ると思うんですよ。
  勿論、彼らの眼光やオーラ、それより何より彼ら自身が持つ人望を、
  ロボットは体現できないだろうけどね。
  それでも、見てみたいし、聴いてみたい。そして、「そこそこ」の演奏になるだろう。
  団員は指揮者の音源や映像で予習して、ロボットの指揮に従うから、そこそこの擬似演奏になると思う。
  ステージ・バックには往年の指揮者映像をスクリーンに映し出したりして。
  テンポ設定とかアゴーギクとかデュナーミクとか真似てね。
  
  こうなってくると、いよいよ「ありきたり」な演奏してる指揮者は「不要」になるんじゃないかな?
  昔の大指揮者が今でもマニアに珍重されてるのは、彼らの強烈な個性ゆえ。
  彼らのカリスマ性やデータにしきれないオーラはどうしょうもない。
  だから擬似演奏はあくまで擬似。魂のないマネっ子。電車でGO!

  大指揮者は、彼らにしか出来ない演奏が、一秒一瞬の全てに閉じ込められている。
  何処から聴いても、クライバーだとかクレンペラーだとか分かる個性がある。
  それが現代の指揮者には、どれ程いるのだろうか。
  
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