いぬ(隊長作)

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲   - 14 -  (2004年6月)
   訪問者数 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲(弦楽合奏版)
  弦楽四重奏曲第16番(弦楽合奏版)
  弦楽四重奏曲第14番(弦楽合奏版)

  バーンスタイン指揮  ウィーン・フィル
  (グラモフォン 435 779-2 )輸入盤

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  【 SQ 】
  
  高校・大学と、兎に角1曲でも多くの「作品」を求めた。
  人はそれぞれ音楽に対しての好奇心や掘り進み方が違う。
  バッハやモーツァルトを探求し続ける人、オペラにどっぷりの人、
  古楽という太古へ帰って行く人、現代音楽に突っ込んでいく人。
  もしくは指揮者に嵌る人、オーディオに凝る人。
  
  私は1曲でも多くの作品を知りたいタイプかな。
  (隊長は1種類でも多くの同音異盤を欲しがってます。)
  全ての交響曲を聴いた訳ではないが、名曲と呼ばれる交響曲の大方を漁り
  尽くした私が進む道は、二つに分かれた。
  更に珍奇な交響曲を探し求めるか、ジャンルを超えて名曲を吸収するか。
  
  大学時代の私はここで後者を選び、室内楽への探求に勤しんだ。
  ヴィオラという室内楽にお誂え向きな楽器をしていた事もあって、
  ヴィオラの役割が重い室内楽は打ってつけだった。
  まずは弦楽四重奏曲(以下SQ)やヴァイオリン・ソナタなんかなのだが、
  交響曲ドップリだった私にはそのサウンドが不満だった。
  華麗な服飾や豊かな肉付けを剥ぎ取った骸骨、骨組みだけによる透かし絵
  みたいな音楽に慣れるには時間がかかった。
  
  たまたま大好きなショスタコーヴィチのSQが15曲と、名曲ピアノ五重奏曲なんかを早々に
  知りえたのでSQ自体は身近にあったが、
  モーツァルトやハイドンのSQにはどうもしっくり来なかった。
  
  古典・ロマン派のSQを知らずして、SQを攻略していると言えるのか?
  下らん事だが、自分自身SQを作曲し始めていた事もあって、ショスタコの
  珍妙なSQだけをSQと認識している現状に、不安を抱いていた。
  そんな頃に出会った1枚が、今日のお話です。
  
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  いよいよ出します、バーンスタイン。
  敢えて仕舞い込んでいた青春の日記を取り出したような気後れすら感じるのですが、
  この1枚との思い出なくして我が室内楽は無い、とまで思うので書いてみます。
  
  あの頃はカラヤンとバーンスタインが、王・長嶋の如き黄金時代だった。
  いつの時代も「俺はカラヤン!」「私はバーンスタイン」「否、アサヒナ」
  と派閥を作りたがる輩が横行する世の中、私はノンポリでした。

  今ほど指揮者に重きを置いてなかったし、一人の指揮者が全ての演奏において
  優れているなんてチャンチャラ可笑しい話だ。
  人間、得手不得手というものがあって当然だし、楽団員あっての指揮者でもある。
  今思えば、あの頃ケーゲルを知っていれば東ドイツへ、とも感じずにはいられませんが。
  
  そんな頃ですから、バーンスタインの新譜が出れば話題沸騰。
  仲間内でも「聴いたか?」なんて会話も出ましたが、この盤は何故か話題に昇らなかった。
  バーンスタイン&VPOという究極の組み合わせなのに、SQの弦楽合奏
  という脱線した臨時列車みたいな失望感があったのだろうか。   うしし(隊長作)

しかしアマノジャクは、こういう盤こそ聴きたくてウズウズです。
  ベートーヴェンの後期SQそのものを、この盤で初めて聴きました。
  ですから私の原体験です。
  「第九」よりも後の作品なのですが、これが聴覚を失った老人の音楽とは
  思えない凄みと嗚咽に溢れています。
  私は「第九」をどこかで斜めに見てしまう心があったのですが、甥カールとの
  関係に消耗してゆく精神の中、こういった音楽を作り上げた彼は鬼神です。
  神の音楽?いな、鬼の音楽とも言うべきか。
  
  弊誌読者諸兄の中で、この盤をどれだけの方が御存知か想像もつきません
  が、ベートーヴェンの後期SQを知らない方は勿論、マーラー等の後期ロマン派
  交響曲が大好きな方にも是非とも聴いてもらいたい音楽です。
  と言うのも、ベートーヴェンは「第九」以降、完全にイっちゃってますから。
  (私的には最大の賛辞であります)
  
  彼がこの後、何十年も生き続けていたら、恐らくマーラーも現代音楽も存在価値を
  危ぶまれていたでしょう。
  それほどこの音楽は先見性を誇っており、未知なる世界を突き進んでいます。
  たまに、「ベートーヴェンの後期SQは良さがよく分からない」等と耳にしますが、
  「おいおい、冗談にも程があるでしょー」と言いたい。言っちゃった。
  
  バーンスタインが第16番、第14番の順に収録したのも、私には頷けます。
  第16番だって十二分に優れた音楽ですが、第14番の凄まじい叫びをどう
  表現していいのか分かりません。
  このニュアンスは同曲の価値を知っている方には汲み取っていただけるんじゃないか、
  と甘い甘えを抱きますが、知らない方もいらっしゃると思います。
  
  まず、交響曲全9曲全ての上をいってます。
  第九を超えているかは異論もあろうかと思いますが、私はこの第14番の方が
  「慄(おのの)き」を感じるほどに崇めたいです。
  全7楽章からなる第14番は楽章構成からして滅茶苦茶のように見えますが、マーラーの第3番を
  知っている我々には、第七楽章まで肥大せざるをえなかった彼の想像力の奔流を喜ばしく感じます。
  
  第5楽章プレスト辺りから音楽はSQの範疇を越えるものとなっており、この辺を
  バーンスタインは同じ作曲家として汲み取って弦楽合奏で表現したくなったのだと思います。
  そう、この音楽はSQとして書かれていますが、弦楽合奏にもシンフォニーにもなりえるバケモノです。
  ただ、ベートーヴェンの有り余る創作意欲と残された時間を考慮すると、
  短時間で仕上げられるSQという形態を取ることがベターだったのでしょう。
  
  音楽そのものがズバ抜けている事を書き続けていても終わりがありませんので、
  バーンスタインの演奏についても少々。
  彼はやはり作曲家だけあって、素晴らしい作品の前ではむしゃぶりつかんばかりのパワーを発揮します。
  この演奏も彼だからこそ、VPOにここまで轟轟たる演奏をなさしめたんでしょう。
  VPOがクライバーに魅せる美しさとは又違った面を表出しており、こういう演奏も
  なしえていたあの頃が華だったのかもしれません。
  こういう演奏を突きつけられると、指揮者の持つ力は計り知れない大きさを感じます。
  
  最後に、いやいや、SQはやっぱりSQで聴きたいという人に。
  大変ベタで申し訳ないが、アルバン・ベルクQの2回目録音を無難に推奨します。
  
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