(隊長作)

2009年2月21日(土)  16:00   - 251 -    訪問者数

     名古屋フィルハーモニー交響楽団  T・フィッシャー指揮
     愛知県芸術劇場

     藤倉大     ピアノ協奏曲 (日本初演)
     シューベルト  交響曲第7番「未完成」
     マーラー    交響曲第1番「巨人」

  oxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxsoxs
  

今回は新作・初演について書きたい。
バッハやハイドン、モーツァルトを愛聴する
クラシック・ファンもおりますが、
私は近現代のクラシックを愛好してます。

それゆえに、その延長線上にある
「現代オンガク作曲家」も愛好しているか、
というとチト違う。(隊長作)



  プロコやショスタコが好きなのに、そのチョット先の作曲家はどうも好きになれない。
  
  最近解かってきたのだが、現代は二系統に分裂している。
  一つは現代オンガクの王道を行っているアカデミック満載な世界。
  俗に言う「ゲンダイオンガク」で、シェーンベルクやウェーベルンの流れを祖に、
  シュトックハウゼンとかブーレーズとか、細かい事言うと多種多様に
  枝分かれはしているけど、要するに「そういう系統」ね。
  
  もう一派は、反主流派。これが良い。
  多少音楽は齧っているものの、どっぷりと作曲一本ではなく、サラリーマン等をしながら
  二足草鞋で細々と作曲をした人ね。アイヴズとかアッテルベリといった、
  「旋律」を忘れず、かつ自分の信じた技法は取り込んだ作曲技法。
  
  「現代」オンガクは飽くまで現在進行形なので、今の今どうだこうだと論じても、
  それはきっと「予言」になってしまう。大体が同時代に論じられていた反応は陳腐化し、
  未来では思いもよらない方向性が支持されていたりする。
  マーラーやブルックナーが、ベートーヴェンと同列に語られる時代がこんなに早く
  やってこようとは、当時の最先端の人々も想像できなかっただろう。
  
  それゆえに私がガチガチの現代オンガクを非難するのは、数百年後には
  「聞く耳が無かった」と笑われるのがオチなんだろうけど、やっぱり自分の耳では
  「才能が無い」と聞いてしまう。

  それよりか、アカデミズムでは邪道とされている新ロマン派とか
  ポスト・ショスタコーヴィチとかの方が、よほど素敵な音楽に聴こえてしまう。
  私が死ぬ頃には、現代オンガクと新ロマン派のどちらに軍配が挙がっているか
  解かるだろうが、それも数百年後にはコロコロと逆転を繰り返しているかもしれないし、
  現代オンガクは「失われた百年」とか言われて完全忘却されているかもしれない。
  
  いずれにせよ、現代オンガクとは「今」に訴えず、「芸術」そのものを
  未来の聴衆に訴えると云う、大変ロマンチックな芸術行為だと思う。
  金持ちのボンボンでなきゃ、やってらんない職業だ。
  こんな限られた状況で、切磋琢磨された作品が登場するのか疑問に思う。
  (隊長作)
世界中に満ち溢れているロック・バンドの方が、
よほど切磋琢磨して伸し上がってデビューしてるんじゃなかろうか?
  
  さてさて、今回の現代オンガク。
  聴いて数秒で、あ、嫌いな系統、と思った。
  一人一人の現代オンガク作曲家は一生懸命現代オンガク作曲技法を駆使して、
  解説を読んでも今一つ解からない抽象的なコンセプトを音楽化している。
  しかし、聴く方から言わして貰えば、あんたら似たり寄ったりなんじゃ。
  
  作曲家名も題名も伏せて、二人の各作品の初演を聴いたとしよう。
  いったいどちらがどちらの作品か解る人っているんだろうか?
  今回の藤倉大はまだまだ新人の部類だからしょうがないけど、
  藤倉ならではの音楽ってどこで解かるんだろう。
  
  赤のカワイイおもちゃのピアノ(トイ・ピアノ)。
  水を入れたワイングラスをこすったり。
  ヴィブラフォン?の横をヴァイオリンの弓でこすったり。
  視覚的には「ほよよ?」と思わせてくれるが、果たしてこんな曲を明日から
  毎朝聴いてみたいと思った人は何人いたのだろう(夜眠る前でもイイよ)。
  こういう系統の曲って、打楽器が面白かった、という感想だけで終わってしまう。
  
  だって、眠くなりそうになると、打楽器が強打され目が醒めるから。
  本心でこういった音楽が書きたいと思って書いているのかねぇ?
  指揮者も楽団員も、これは良い曲だと思って演奏している人が、
  何割いたんだろう。   

繰り返すが、私は古典派音楽より、
ロマン派とか20世紀音楽の方が好みだ。
そんな傾向のある人間でさへ、理解を得られない、
理解どころか嫌悪感以上のものを抱いてしまう音楽。
哀しいよなぁ。

指揮者、楽団員は勿論、ピアニストさへも
全員が楽譜を置いて演奏。そりゃこんな
取りとめの無い作品、憶えたってしょうがない?

  初聞きで語る訳ですが、特徴がなく金太郎飴のような曲でして、
  3分あたりと5分あたりを引っくり返しても、聴衆は気付かないでしょう。
  どうなんだろうなぁ、こういうの。
  時代が追いつけば、「どうしてこんな素晴らしい作品が2009年初演時には
  理解されなかったんだろう!?」って思われるのかな。
  未来人って、凄いよなぁ。
  
  気持ちを取り直して、シューベルト「未完成」。
  ティエリー・フィッシャーって、現代オンガクが好きな人のようだが、
  どういう風の吹き回しかシューベルト「未完成」。
  彼のプログラミング・コンセプト上、「未完成」というキーワードが必要だったようで、
  藤倉大とマーラーの架け橋にはちっともなっていない。
  もちろん、演奏は凡演。
  
  ただし演奏では、クラリネットが非常に秀逸、特に弱音なんか。
  上手いクラ奏者を聴くと、ついお願いしたくなる。
  是非、ニールセンの5番をやって下され!!
  
  マーラー巨人。
  あの第三楽章冒頭。
  コントラバスのソロを「全員」で弾かせていた。
  ここはベース・トップがソロで弾くのが一般なので目を見張る。
  もしアマオケでここがネックなら、この方法を採ればいいと思う。
  ググると、マーラー協会の新校訂版では、ソロではなく全員で弾けと
  変わっている、という情報がある。
  
  昨年9月に聴いた時も感じたが、フィッシャーがやりたい事に、
  オケが完全には反応できていないようなもどかしさを感じた。
  テンポを上げたいみたいですよ、と私でも解かる指揮をしてるのに、
  オケは重くて速くならない。フィッシャーを信じて、既成概念を打ち壊して、
  彼の振るがまま盲従してみたらいいのに。
  
  名フィルは、打楽器が強くて良い。
  ウルサイ曲ばっかやれば、その良さは十全に発揮されるでしょう。
  金管がもっと吹いてくれれば、最高だった。
  聴いた席の場所にも寄るんでしょうが、ホルンは
  ガンガン届いてきただけに、トランペットの更なる活躍に期待。
  終楽章のヴィオラの独壇場、ゴリゴリっと鳴っていたし、
  ヴァイオリンも力強くて弦には文句なし、良かった。


   前へ  HOMEへ  次へ



  *** 過去の 『巨人』 なコンサート感想。

    * 京都フィロムジカ管弦楽団 金子建志指揮
      マーラー「巨人」(2部からなる交響曲様式による音詩:ハンブルク稿)

    * 東京都交響楽団 デプリースト指揮

    * 水星交響楽団 齊藤栄一指揮

    * 豊田フィルハーモニー管弦楽団 八城崇幸指揮
















inserted by FC2 system