(隊長作)

2009年10月11日(日)  17:30   - 280 -    訪問者数


     オルカ・フィルハーモニー管弦楽団   角田鋼亮 指揮
     愛知県芸術劇場

      チャイコフスキー   幻想序曲「ロメオとジュリエット」
      シューマン       ピアノ協奏曲イ短調
      ショスタコーヴィチ  交響曲第5番


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衝撃的なオルカ・フィルとの出会いから、早三年。
チャイコフスキーの第5番、第6番「悲愴」と続いて、
いよいよマンフレッドかーっ!と思っていたら、
ショスタコの第5番。
なぜ、いまさら5番?

ここ名古屋ではショスタコの演奏会が
異常に少ないのです。
それは第5番でさへ。

  ブラームス、チャイコ、ドヴォルザークあたりが未だに王道で、社会人オケが
  ブルックナーやマーラーを採り上げることもあるが、ショスタコは実に少ない。

  拒絶反応が何かしらあったのか、楽譜の問題か、指揮者の嗜好のせいか。

  ようやく採り上げてもらっても、第5番。
  いまや大学オケでも通常ナンバーになっている名曲路線ですが、
  ショスタコやるならやっぱり第5番からか。

  東京ダスビのようにショスタコ専門オケがある方が、異常なのかもしれない。
  名古屋はその代わり、ブルックナーとワーグナー専門オケという
  怖ろしいオケがあるが・・・。まぁ、何はともあれ、
  (隊長作)

名古屋にいるショスタキストよ、がんばって!

  今回はまたもや愛知芸劇なので、南方にある中日ビルでランチ♪
  手羽先、餡かけパスタ、味噌カツと紹介してきましたから、あとは
  「きしめん」「天むす」と「味噌煮込みうどん」。

  天むすの発祥は三重だとの見解があり、きしめんは好きくない。
  うどんはカレーうどんが好きだけど、味噌煮込みも喰ってみりゃナカナカうまい。
  どうせ紹介するなら本場を、ということで「山本屋本店」で食してみました。
  

最初に出てきたのは。
注文もしていないのに、お漬物。
大皿の上に、白菜や沢庵がどっさり。

塩味が効いていて、それでいて人工的な
きつい味でもなく、ひじょーに!
美味♪

これにお茶漬けなんかを喰わせてくれたって、
わたし的には行くかも。

  しかも、お漬物はお変わり自由。
  子供の頃、京都のお婆ちゃんが斯波漬けを山盛りでご飯食ってたな・・・
  血圧高かった。

  しばらして出てきたのが、味噌煮込みうどん。
  名古屋コーチンを使ったものは更に高いですが、
  そうでない鶏肉でも十二分に柔らかくて美味しい。
  ところが、うどん。これが硬い。
  

好みが別れるところですね。
この世にはいろんな麺があるのだと
判った今では受け入れられますが、
うどんはふにゃっとしたもの、と
決めてかかっている人にはキツイかも。

讃岐うどんのようにシコシコといった
弾力性でもなく、味噌「煮込み」用に
到達した、煮崩れしないための硬さ
なのかもしれない。

  わたしは・・うまい・・、このスタイルにはこれがベストなんだと思う。
  食べ終わって、また食べたいなと思っている自分に気付き、この麺の硬さで
  こう思わせるとは凄いことだ。


  さぁて、さてさて。
  一年振りのオルカ・フィル。楽しみにしてましたよ〜♪
  なんたって上手いですからね、アツイですからね、さっき喰った
  味噌煮込うどんみたいな表現だ。

  今回も田村響を呼んでのPコン入りプログラム。
  モーツァルテウムに留学中という事から、モーツァルト系のピアニストを
  目指しているのかもしれないが、彼のパワー、低音の底力を活かすんなら
  ラフマニノフやベトベン、ブラームスの方が向いているのでは?

  モーツァルテウムだからと云って軽やかで繊細な音楽と決めつけるのも
  早計だし。演奏は当然良かったけど、ときどき危ういところあり、
  余裕綽々なところもあり。

  サービス精神旺盛なためか、ソリスト・アンコールが2曲。
  ラフマニノフ調とモーツァルトのかなり長めな作品。
  高校生時代、モーツァルトを愛聴していたのに、
  今は何も感じなくなってしまった・・・。
  心が腐ってきたからなのか。

曲順は遡って、チャイコのロメジュリ。
オルカといえばチャイコフスキーだけあって、
今回も序曲ながらロメジュリ
という長い曲を組み込んできた。

この感じだと、テンペストや地方長官、
1812年や三大バレエなんかをこれからも
絶えず組み込んでいくのも面白い。

オルカといえばチャイコフスキー、
といった個性(ウリ)を創って行くのも
アリかも。?

  今回のプログラムではハープの使い方にも感心した。
  ほとんどのアマオケでハープ有り楽曲はトラとなる。
  そこでギャラを払ってハープ奏者を招聘するのだが、
  どうせ呼ぶなら効率的に使いたい。

  今回のタコ5はハープが非常に重要な役割を演じ、奏者のレベルも要求される。
  折角レベルの高い奏者を選んだんだったら、他の楽曲でも出て貰いたいのが
  人情ってところ。チャイコだったらハープも華麗だし、逆にチャイコだけの為に
  ハープを用意すると云うのは勿体無さ過ぎる。

  チャイコとショスタコという流れも相応なので、あとはシューマンPコンだけが
  プログラム的に残念だったが、ソリストの意向とかもあるから十分な線だったのだろう。

  ショスタコ第5番。
  あらためて第1楽章冒頭後のホルン・ソロの難しさを思う。
  ここを聴く事によって、多くのホルン奏者は「タコ5無理」って
  思うんでしょうね。

  しかし、ほとんどのアマオケ、場合によってはプロでさへここはミスってるんだから、
  是非ここは気にしないで欲しい。そもそもロシア系のブラス(金管群)は
  有り得ないレベルであり、彼等を想定してショスタコやプロコは書いているフシがある。
  
  20世紀音楽特有の、中低音楽器にバンバン無理な音域を要求する事は
  当たり前だし、その裏声みたいな音色を愉しんでいる。だからミスっても
  「あたりまえ」という高飛車で、多くの観衆も聴いて欲しい。

3楽章と4楽章の関連性。
この曲は第3楽章を苦悩の音楽と
定義付けることには異論は少なかろうが、
終楽章をどう考えるかは意見の別れるところ。

革命万歳で歓喜の楽章と演奏する人も
いるし、そうは思ってなくても結果的に
そうとしか聴こえていない演奏は多い。

  但し、最近の傾向としては腹にイチモツ抱えたまま行進したり、
  ムチ打たれながら喜んだ振りを見せて行進する場面を描いている演奏もある。

  当然、後者の方が深みのある演奏になるのだが、
  そこで重要となるのが第3楽章から終楽章への流れ。

  第3楽章が深刻で苦悩苦痛にのた打ち回れば廻るほど、
  終楽章のラストは効果的(対比的)になる。

  そういう聴き方をすれば、今回は第3楽章のノメリ込み度が弱かった。
  終楽章冒頭の大仰なスローテンポ。
  これは一芝居打ってくるな、とワクワクさせられたし、芝居に輪をかけて
  アクセル踏み込むテンポ揺らしはマジックだったが、これが映えるために
  第3楽章からの伏線もやってほしかった。

  こういった音楽の伏線まで要求したくなる演奏というのは、面白いもので、
  角田さんだったらいずれきっと披露してくれると思う。
  音楽も芝居も舞台芸術であり、「やりすぎ」かなって思うくらいやってても、
  観客からしたら丁度良い場合が多い。

  その辺の些事加減を見極めるのが指揮者の仕事であって、指揮者が
  もっともっとと要求すれば、奏者は限界までデフォルメしてやればいい。
  逆に暴走し過ぎるオケを、指揮者が手綱で締めるようになると、
  名演奏が生まれているように思う。
  

オルカは第3回にして、そういった
伏線まで要求したくなるような演奏を
しはじめてきた。

実に実に、
次回の演奏会が楽しみになってきた。
願わくば、ぜひ、名古屋初演といった
大胆なプログラムを期待したい。



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  *** 『オルカ』 な過去のコンサート感想。

    * 2007年 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキー交響曲第5番 他

    * 2008年 R・シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」 他

























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