(隊長作)

2010年1月9日(土)  18:00   - 289 -    訪問者数


     オストメール・フィルハーモニカー   角田鋼亮 指揮
     愛知県芸術劇場

      R・シュトラウス  4つの最後の歌
      ブルックナー    交響曲第9番(終楽章付)

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2010年、最初のコンサートは
オストメール・フィルハーモニカーとなった。

この名古屋のオケは、例年1月上旬に
演奏会を開くので、どうしても歳初め
早々のコンサートとなる。
毎年練りに練ったプログラムを供して
くれるので、満足な年明けが迎えられる。
(隊長作)

  08年1月5日が、マーラー第6番「悲劇的」。
  09年1月12日が、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」全幕バレエ付。
  そして今年がブッルクナー第9番の、しかも終楽章つきという
  意欲的プログラムだ。

  来年は名古屋マーラー音楽祭のオープニングとして、
  ハンス・ロットの交響曲第1番。

  再来年はその音楽祭のクロージングとして、
  マーラー第8番「千人」と、眩しくて
  直視できないほどのプログラム・レパートリーだ。

  オスフィルは、名古屋地方きっての名門私立東海学園のOBオケとして
  有名であり、男子校OBオケゆえに奏者は全員男子。オスフィルのオスは、
  男と掛け合わしていて絶妙なネーミング。
  黒の礼服オンリーの舞台は逆に清々しくもあり、爆音好きな我々にとっては
  申し分ない人員構成と成っている。


  さて、感想。
  最弱音が極小にまでピアニッシモにならないゆえ、強奏への
  クレッシェンド・ゴールが早く、強奏時間の長い演奏となる。
  そんな状態で真のクライマックスに到達すると、更なる圧力が
  掛かってしまい音色が硬化。

  硬くて、泣き叫ぶような音色に聴こえてしまった。
  荒々しく豪快な演奏、とも表現できるかもしれないが、ブルックナー第9番
  という神音楽な本曲では、ブルックナーが舞い降りてくるような奇跡までは
  起こらなかった。

  第一楽章終盤、非常に遅いテンポ。
  さながらワーグナーのような壮絶な咆哮、さすがに受け入れ難い解釈。
  若い人達がアツイ思いで全力投球したらこうなった、と絵に描いたような演奏。
  ブル9への真っ向勝負演奏は応援したかったが、解釈が自分とは合わなかった。

  日頃、個性的な解釈演奏を希望しているくせに、
  自分の好みと合わない演奏だと否定的感想を述べている
  自分自身に嫌悪感。
  

弦五部は、全身から
搾り出すような弓の動き。
金管のトゥッティは、
まるでマーラーのよう。

ブルックナーを聴いていることを
忘れさせてしまう瞬間が度々襲い、
ここまで圧倒的演奏をすれば、
これもまた一つの演奏スタイルと言える。

  面白いものが聴けれた、と喜ぶ度量が必要なのかもしれない。

  第2楽章。
  豪放磊落な攻撃スタイルが、一転、最大限にプラス面に働いた。
  だけど、悲しい事に、私はこのスケルツォが総じて、好きでなく、
  さぞかし理想的なスケルツォなんだろうと思うばかり。
  ブル9の第2楽章が好きな人がいれば、これは滅多に聴けれない
  凄演だったと感ず。

  今回は第3楽章で終わらず、終楽章(第4楽章)が付随された
  珍しいヴァージョン。自宅を探してみたら、
  ロジェストヴェンスキー盤の「サマーレとマツッカによる補筆完成版」
  があったが、ほとんど聴いた記憶がなく、持っている事さへ忘れていた。
  
  今回の演奏会は大変ショックを受け、その後何度もロジェヴェン盤
  (終楽章)を聴いているが、聴けば聴くほど「ブルックナー」とは違う。
  おそらくこれを叩き台にして、ブルックナーは多くの人に揉みくちゃに
  されながら、終楽章に改訂に改訂を重ねて神曲に昇華して
  いったのだろう(ブルックナーが長生きをしていたら)。

  天からの恩寵のような下降音形が美しく、私はワーグナーを連想した。
  このモチーフは十二分に素晴らしいものだが、ブルックナーが改訂に
  改訂を重ねる時間があったら、きっとこの旋律はもっとブルックナー
  らしいものに変容したかもしれない。
  最初にブルックナーが終楽章の「神」の役割的に生み出した旋律は、
  ワーグナーのような、強いて言えばタンホイザーのような下降音形を用意した。
  これは嬉しくもあり、驚きもした。
  

ブルックナーが最期の最後に
作曲した終楽章草稿ということで、
多くの現代人は恐れ多くて
非難批評しにくいだろうが、
当時の同時代人たちは突っ込み
しまくりだっただろうナ。
(隊長作)
 

  そして、ブルックナーは目をおどおどさせながら多くのアドヴァイスとも
  忠告とも付かないような無理強いに押されながら、改訂版を創ったのではないか。
  第8番のように、圧倒的な信念に貫かれた鉄骨は無く、天国と地獄の分岐点のような
  暗闇で右往左往、彼がウジウジと逡巡しているかのように聴こえる。

  その音楽は難解で苦渋に満ちており、魂が最期の最後で混迷を極めてしまい、
  達観とは真逆の人間らしい世界を音楽化している。

  この状態で、「第1項」として第9番が残されていたら、おそらく
  現行版の第9番(3楽章版)ほどの評価は得られなかったと思う。
  しかし、ブルックナーが最期の最後でどのような世界を視ていたのか、
  私たちは伺い知る事が出来ただろう。
  今後もブル9演奏は三楽章版(現行版)が主流であり続けるだろうが、
  私は今回を機に終楽章(第4楽章)付き版の方が、ブルックナーその人を
  感じる事が出来るような気がして、良い演奏会になると思った。

  そんな事に気付かせてくれて、今回の演奏会は
  「初めてブル9終楽章付版を聴いた」出会いとして、生涯思い出すだろう。
  演奏会が生み出すチカラって、ときどき凄い事があるよな、と思う。


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  *** 過去の 『ブルックナー9番』 なコンサート感想。

    * SNS管弦楽団 メシアントゥーランガリラ&ブル9

    * 名古屋フィルハーモニー交響楽団 パルジファル&夢の木&ブル9

    * 水星交響楽団 ブル9 他























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