ドイツ国旗(隊長作)

5月30日(日)  14:00   - 25 -   訪問者数

    ベルティーニ指揮  東京都響
    みなとみらいホール
  
    マーラー  交響曲第9番

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  【 ベルティーニ讃 】
  みなとみらい

今夏、ドイツへ旅立つ往年の親友がいるのだが、
彼との最初の思い出がベルティーニだった。

一浪の末、大学にどうにか入り、
念願の大学オケに入団。

  クラシックへの熱情だけは、誰にも負けしまへん!と相当気負ってたあの頃。
  右を見ても左を見ても、なんだかヒトカドの奴等ばっかりに見える、
  そんな青春の1ページ目でありました。
  
  ある日「新入生一同、親睦を深めようじゃないの」と
  校門前の喫茶軽食店で同期全体で夕食を取りました。毎年そうしていたそうです。
  
  私は(どいつが一番詳しいんだ?)とギロギロ辺りを
  ねめつけておりましたら、前述で登場しましたペルト先輩が   たこ(隊長作)

「ショスタコを聴く奴ってお前か?」とぎこちなく話しかけてきました。
  私は(あんたやのぅて、うちは同級生に用があるんや)と思いつつ、
  ショスタコを聴く先輩が取り敢えずいて、ホっとしてました。
  それほどオケにはクラ・オタがいませんでした。
  楽器イノチはいましたが。
  
  「あぁ、そうそう。こっちにマーラー好きな奴がいるから、お前ら話が合うだろ」
  と引き合わされたのがA氏だった。
  この時の彼の印象は、幾ばくかの敵意を滲ませており、私も負けじとブスっとしてました。
  クラ・オタに限らず、おたく達のファースト・インプレッションとはそんなもんです。
  まず相手がどれほどの知識を持っているのか、ジャブを小出しに仕掛ける。
  
  まったく浅墓で卑しい行いです。
  ですが人は誰しも自分が最も没頭している事柄を、尊重されたいのでしょう。
  私だってそうでしたし、それは今も残っているのが正直な所です。
  
  しかしA氏と話してみると、ようやく真っ当な音楽談義が出来る相手が見つかった
  といった嬉しさが込み上げてきました。
  こういう真剣に音楽に取り組もうとする人に出会えて、
  オケに入って良かったと感じました。
  
  音楽談義は次第に白熱してゆきます。
  マーラー演奏で、誰が優れているか?
  今ならこんな不毛な討論は願い下げですが、若者って奴はこういうネタが大好きです。
  
  その時、彼の口から熱く得意げに語られた指揮者が。
  「おれな、マーラーはやっぱベルティーニが最高やと思うねん」
  そう彼がコテコテの河内弁で吐き出した言葉が忘れられません。
  と言いうのが、今から約15年前、私はベルティーニのベの字も知らなかった為。
  て言うより、作品こそが全てで誰が演奏しようと大差ないんちゃうの?
  と純粋に思っていましたから、「マーラーならベルティーニ」という彼の主張はショックでした。   はて(隊長作)

「ベ、ベルチーニって誰なん?ベルサーチとちゃうよなぁ...」
  と心の中で焦りつつ、私は彼の前でおもむろに頷くのでした。
  「うーん、ベルチーニかぁ。確かに悪くないな」
  
  素直に、知らんって言っとけば良かった。
  今なら逆に、知らんものは知らんと自信たっぷりに言えます。
  なんせこんだけ聴いてて知らないんだからしょうがないよ、
  否、逆にレアな情報は聞かさせて頂きたい。
  
  それ以来です。
  ベルティーニと言えばA氏を思い出し、大学デヴュー戦での悔しい惜敗を思い出すのは。
  大学1年の春の出来事でした。
  
  みなとみらいにある高いビル
あれから月日は流れ、今、ベルティーニは
日本を去ろうとしています。

指揮台にゆっくり歩み寄るベルティーニを見ていると、
ショルティとか竹下元総理を
思い出すのは私だけでしょうか。

  指揮台に立った彼は厳かな儀式を始めるように、暫しの沈黙で支配します。
  ヴィオラとしては、冒頭の6連符が好きです。
  やさしい微風のような、一瞬にして消え去ってゆく泡沫のような音形です
  が、この伴奏があってこそヴァイオリン奏でる第一主題が映えます。
  たゆたう様な柔らかな流れの中、音楽が進んでいきます。
  いつしか眠たくなっていきます・・・
  ぇえ!?
  
  マーラー9番は作者の現世への惜別の歌であり、
  この世の美しさや葛藤・懊悩・絶望、そして諦めと別れ。
  哲学を最も美しく交響曲として音符化した奇蹟ですので、
  眠くなるなんて滅多矢鱈に起こりえません。
  これは演奏が心地よ過ぎたのか、私が疲れていたのか、
  はたまたベルティーニの解釈が心を揺さぶらなかったのか?
  
  慈愛に満ちた一音一音を慈しむような、都響との繋がりをいとおしむ佳い演奏でした。
  オケも精一杯の力でマエストロに応えていきたい心情が音化されている演奏。
  ですが此処からは趣味の問題と言うのでしょうか。
  暴言を恐れず述べれば、数ヵ月後にはこの日を忘れているんじゃないか。
  
  逆に苦闘に満ちた慶應ワグネルのマラ9の方が印象的だった。   ?(隊長作)

これは一体全体どういう訳だろう?
  終演後、ベルティーニは千手観音のようにユックリ両手を降ろしてゆき
  弱音はホールの彼方へ溶け込んでいきました。
  更に暫くは拍手も雑音もなく、ホールは感動の静寂に包まれたようです。
  
  聴衆は地響きのような唸り声と共に拍手をし始め、それはいついつ迄も続きました。
  最後にはスタンディングオヴェイションへと変容していった程です。
  
  私と隊長は久々に意見の一致を見ましたが、それはなんとも寂しい気持ちでした。
  これはもう本当に好みの問題でしょう。
  隊長はアバド&BPOの東京ライヴが忘れられず。
  私はバーンスタイン&BPOのライヴ盤を最上としている人間です。
  こういった性癖の者達には、ベルティーニの澄んだピュアな演奏は不向きだったのでしょう。
  決して詰まらなかったり、無感動な演奏だったわけでは寸毫もありません。
  
  ただ、マラ9は慟哭せんばかりの感動を齎(もたら)してくれる音楽だと
  知っているだけに、何かが我々とは合わなかったのだと思います。
  
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