雪(隊長作)

10月17日(日)  14:00   - 50 -   訪問者数

    尾高忠明指揮  札幌交響楽団  サントリー・ホール
  
    マーラー   交響曲第6番「悲劇的」
    武満徹    「死と再生」 〜弦楽オーケストラのための〜

  sapporosapporosapporosapporosapporosapporosapporosapporosapporo

  サントリーホール
国内にはN響を筆頭に、
実に沢山のプロ・オケが林立しています。

また、全国各地には音大があり、
彼らのうち一部は、そのプロ・オケに
入団することでプロの演奏家として
生活の糧を得ているものと思われます。


  しかし多くの音大は東京にあり、多くのプロ・オケも東京にあります。
  東京に在るものはピンキリですが、ライバルが多い分、切磋琢磨も激しいと思う。
  大阪・京都もこれに準じていると思うし、
  兵庫の付属オケ設立などは面白い潮流だと思います。
  
  ところで、札幌などはどうなんでしょう?
  まったくの偏見と独断でものを述べるのは失礼極まりないが、
  札幌響の団員さんの幾らかは東京の音大出身者じゃないでしょうか?
  札幌響に入団・演奏してホント良かった、って思われてる方も多いだろうが、
  チャンスがあれば在京のオケに移籍したいという人もいると思う。
  
  そして、さまざまな思いが交錯していると思うんですが、
  東京とその聴衆に対する敵愾心は相当なものなんじゃろうか、と考えちゃいます。   うさこ(隊長作)

「東京トーキョー、なんぼのもんじゃい」
  これは一関西人だけが思っている考えではなく、東京以外の多くの人が
  共通して共有している情念だとさへ、思うんです。
  
  錦糸町のトリフォニー・ホールでは、毎年「地方都市オーケストラ・
  フェスティバル」と称して、多くの各都市のオケの実演が楽しめるんですが、
  どれも「リキ」の入った想い入れたっぷりな演奏が堪まらん魅力です。
  東京で一発ブチかましたろう、という迫力が伝わってくる。
  だから、今回の札幌響が東京を代表する「サントリー・ホール」にて、
  管弦楽の大曲かつ難曲を代表する一曲「マーラーの悲劇的」を引っ提げて
  殴り込んでくる。
  迫力と興奮が、そんな状況からプンプン匂ってきます。
  
  ちなみに、当日、開場15分前に並んでP席を買ったんですが、「マーラー6番」だし、
  「サントリー・ホール」だし、指揮者は「尾高」だからチケットが買えるか心配でした。
  買えたんだけど、行列はそこそこ出来ました(私は先頭近くだったので楽勝!)
  ところが入場してみると、2階席後方はガラガラじゃないですか。
  札幌からの特別演奏会というハンデがあるのは分かるんですが、
  こんな滅多に生まれないマーラーの名演をなんと多くの人が聴き逃したことか..。
  数百人分の空席を見ながら、溜め息が出ました。
  vn(隊長作)

さぁ、演奏会が始まります。
マーラーの前には、タケミツがありました。
  私はこの人に才能を感じないんですが、多くの同時代人は称揚しています。
  
  そして私は心素直に、前向きに音楽を聴いてみたんですが、
  なんか旋律(メロディ)を使うのを怖がってる気がした。
  
  シェーンベルクの「浄夜」と雰囲気が似た音楽だったんですが、
  ここぞという箇所に、メロディに纏(まと)まりそうな盛り上がりを見せます。
  しかし、決してメロディにしたらいけない決まりでもあるんだか、
  頑なに旋律に繋がる流れを避けてます。
  そうすることによって、音楽が哲学的で高尚なものに昇華されるんでしょうか。
  それとも、纏まり上がった「旋律」が大した物に
  成り切らない結果を恐れているのかしら。
  
  確かに、この流れから旋律とした確固としたカタチを形成してしまうと、
  全く大した物が出来上がらなそうな予感(予想?)はします。
  でも有耶無耶な雲散霧消な音楽で勝負してるから、
  聴衆は音楽の虜にもならないんだよ。
  タケミツの「死と再生」を聴いた、という記憶は残っても、
  その音楽を鼻歌で歌える聴衆は何人いるのだろう。
  
  こんな文句しか言わないヤツには高尚な現代音楽を理解する能力そのものが
  欠けているんでしょうが、「死と再生」の雰囲気は十全に浮かび上がっていただけに、
  旋律から目を背けた音楽作りは勿体無い思いがしました。
  
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  後半はいよいよ「マラ6」です。
  今年はこの時点で57回の演奏会に行ってるんですが、ホーネック&読響のタコ5、
  テイト&読響のエルガー1番に負けず劣らずの、傑作演奏でした。
  
  コンサートというものは、或る程度のシチュエーションが大切です。
  むかしN響の定演で、指揮者スヴェトラーノフが事故死したダイアナ妃のために
  捧げた「チャイ5の第二楽章」がどれほど素晴らしく驚転したかは
  聴いた人間でしか分からないことなんですが、そんなシチュエーションを作って
  チャイ5の第二楽章という「泣ける」音楽を「泣ける」ように
  演奏したスヴェトラは極上の料理人でした。
  悔しいけど、「うまい」って奴ね。
  
  今回の尾高も、札幌響の力量の限りを東京に叩き付けてやるべく、
  最上のシチュエーション作りに成功しています。
  尾高自身は世界的に功名を遂げた人ですが、札幌という地方のオケを
  完膚なきまで東京に叩き付ければ、尾高そのものの手腕も叩き付けられます。
  
  尾高も、そして札幌響も、逸(はや)る想いをますます高ぶらせる
  「悲劇的」という音楽に乗せて、エキサイトは留まる所を知りません。
  
  第一楽章のあの、独特で確信に満ちた足音は見事でしたが、その勢いが第二楽章でも
  一向に衰えていないので、今日の演奏は間違いなく「アタリ」だ、と確信できました。
  多くの外来オケなどでは、終楽章だけを打って変わったかのように
  ハッスルした演奏で、今までの凡演を帳消しにしてくる事がママあるんですが、
  第一楽章は勿論のこと、少し肩の力がほどける第二楽章でも炎のような勢いを
  衰えさせない演奏に出くわすと、私はもぅ、小躍りせんばかりの歓喜に包まれます。   ペット(隊長作)

第二楽章こそ怒りで煮えたぎった闘争心の持続が、カッコいいんです。
  そして熱い熱い第三楽章。
  今日の演奏が、とんでもなく珍しい演奏会になっていることを裏付けてくれます。
  こういった演奏会に出会うには、何十回とホールに足を運んで、
  何十回とがっかりしない事には出会えないのだと思います。
  そして何十回目かの演奏会で、ふいに音楽の神様からプレゼントを投げかけてもらう。
  そんな偶然性が音楽の感動にはあると思うんですが、今日は少なからず
  札幌響の東京殴り込みを期待していて、それが図星だっただけに、
  してやったり、と我ながら嬉しかったです。
  
  「悲劇的」を知っている読者さんには、この曲の終楽章について
  細々(こまごま)と語るのは蛇足ですね。
  前三楽章がこれだけの迫真で迫られて、どうして終楽章でずっこける演奏
  などがありましょうか。   ハンマー(隊長作)

三回の大きな山場があるんですが、少しこれがダレた時があったような気がしないでは
なかったですが、三回目の山場までハンマーを小さく叩いてくれる、
なんて愛嬌もあって私は久々に力いっぱいと拍手を惜しみませんでした。
  音楽そのものにも、もの凄いパワーがある事も認めますが、そのパワーに
  上手く乗っかって、我武者羅な演奏を繰り広げることは並大抵では出来ません。
  
  札幌響は初めてでしたが(隊長は2回目)、来年3月6日にもやってくるので、
  可能な限り足を運びたいと思っています。

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