コーヒー(隊長作)

11月8日(月)  19:00  14:00   - 55 -   訪問者数

    デプリースト指揮  東京都交響楽団  東京文化会館

    ベルク     ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」
    マーラー    交響曲第1番「巨人」

  depudepudepudepudepudepudepudepudepudepudepudepudepudepu
  
  今年2度めのデプリースト。
  彼の名声はしばし耳にしていたので、いっちょ聴いてみんべと
  2月に群馬まで行ったのでした。
  
  その時の感想はこちら
  「デプリースト&群響、マーラー第5番 (2004/02/22)」
  http://rede200402.hp.infoseek.co.jp/dai/dai6.html
  
  魔の館「群馬音楽センター」だったので、彼の真価が今ひとつよく
  解らなかった悔しいコンサートだった。

東京文化会館
それだけに、本日は音響的にも優れている
上野の文化会館。

どんな解釈が聴けれるのか、大いに楽しみ。
ただ、私が期待し過ぎた時って大方不満足に
終わっているので、不安もあった。

前半はベルクのVコン。

  これはアルマ・マーラーとグロピウスの間に生まれた娘マノンの若き死を
  嘆いて書かれた曲なので、マーラー繋がりのプログラミングとしては秀逸。   ト音記号(隊長作)

だけどね、私はベルクとかシェーンベルクとか十二音系列は大嫌い。
  この曲は、ベルクの中でも無調と調性の間を彷徨(さまよ)いたゆたう様な曲だが、
  私はどうも好きになれない。
  またヴァイオリン・ソロについて、難しい事は解らないが判らないなりにも
  あまり活けてない演奏であることは感じ取れた。
  期待もしてなかったので、あまり不満は感じなかった。
  
  問題はメインのマーラーである。
  私はこの曲を聴くにつれ、やっぱりマーラーの中でも若書きの曲だなと感じてしまう。
  若いと云っても、28歳の時に初稿脱稿なんだけどね。
  
  大音響での音の響かせ方があざとく、特にシンバルの使い方なんて哀しくなってくる。
  これが第4番あたりから新境地を見いだし、第6番などの大音響の深々とした地鳴りとは大違いだ。
  だから精気のない演奏を別とすれば、この大音響の処理の仕方は
  指揮者や演奏者ではどうにもすることが出来ない。
  それだけにドンパチやっている谷間での、弱音部分での歌わせ方がこの曲の
  最大のアピールポイントであり、お愉しみなゾーンだと思っている。
  具体的には、第2楽章と終楽章の中間部。
  そしてデプリーストは如何に歌ったのか。   さくら(隊長作)

それはもう、ほんとに天国的と申しましょうか、
この世のものでは無いほど切なく哀切に満ちて美しかった。
  終楽章でのテンポの揺らしには、思わず涙腺が緩むほどで、
  これは全く素晴らしい演奏だった。
  
  今、バーンスタイン&コンセルトヘボウ盤での同曲を聴きつつデプリーストを
  懐かしんでいるのだが、デプリーストは若い頃バーンスタインに選ばれて
  ニューヨーク・フィルのアシスタント・コンダクターに選任されているだけあって、
  傾向が似通っている。
  ただ、バーンスタインほど感情剥き出しの凄愴な表現ではない。
  しかし歌うところの細やかさや、寂しさの表現は随分と似通っており、
  バーンスタインの静かに熱く謳う雰囲気が好きな人には、デプリーストはお薦め。
  
  私は淡々と楽譜を忠実に再現する思想より、その作曲家が本質的には何が言いたかったかを
  多少のデコレィションも振り掛けて演奏してしまう指揮者の方が好みだ。
  デプリーストはそこまで脚色した演奏ではないけれど、一音一音を慈しむような
  暖かい愛情で音楽を創り上げる。
  
  マーラーのこの曲はいろんな事が起こるけれど、最終的には大団円で大きな
  希望を抱いて歩き出してゆく結末である。
  そんな巨人の後ろ姿が浮かび上がってくるような、「稀有」な名演だった、
  と記録しておきたい。
  ブラヴォー。
  
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