(隊長作)

2月26日(土)  18:30   - 71 -   訪問者数

  井崎正浩指揮   フライハイト交響楽団  東京オペラシティ
  
  シベリウス     交響曲第5番
  プロコフィエフ   交響曲第5番  

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  【 プロコ・ナンバー・ファイヴ 】
  (隊長作)

とうとう書く時が来てしまった。
私がもっとも天才的だと確信している曲、「プロコの5番」です。
  デュトワ&モントリオールのデッカ盤とが、この曲との出会いだったのですが、
  どちらかというとカプリングされている第1番「古典」の華麗流麗な響きに
  感心するばかりで、第5番の凄みに気づくのはもう少し後でした。
  
  大学生時代、類は友を呼ぶと申しますが、ベートーヴェン派やバッハ&古楽派、
  マーラー&ブルックナー派など群雄割拠している片隅で、
  ショスタコ系が肩身を狭くしていました(2名でした!)。
  
  辛うじてマーラー&ブルックナー派の救いの手を借りながら、ショスタコの布教に
  励んでいたのですが、元来私は絶えず新しいものへと興味を移していて、
  早くもポスト・ショスタコを模索していました。
  
  ショスタコの歪みと狂った精神性を押さえつつ、大音響に満ち溢れた
  エキサイティングな音楽は無いものかと探し歩いていた頃でした。
  北欧ではニールセン、アメリカではアイヴズなんかを知りえて、世界が急速に広がるのを
  感じつつあった頃でしたが、ロシア・ソ連系を捜索する手綱も緩めるわけにはいきません。
  
  今となってはショスタコと云えばプロコ、というくらいに両者はソ連の
  二大看板ですが、高校時代から慣れ親しんだショスタコの割には、
  プロコに耽溺するのは遅かったです。
  
  しかしそれだけに、プロコは大人の面白さを持っているようで、学生時代から滔々と
  追求し続けている音楽は、結局のところ私はプロコフィエフとなっているのが現実です。
  楽曲を知れば知るほど、彼の天才性に目が眩むばかりです。
  
  プロコには数々の神業的な作品が残されていますが、彼自身にとっても
  エポック・メイキングな作品が、作品番号100番をもつ交響曲第5番です。
  
  みなさんがどれだけこの曲を聴いたり楽しんだりしてらっしゃるか不明ですが、
  私はこの楽曲がもっとも人間離れした天才交響曲だと思います。
  
  今月はアマオケで2回も同曲の演奏会に恵まれました。
  こんな事は生まれて初めてです。
  ほんとなら1ヶ月で3回の演奏会だったのですが、体調が今ひとつ
  回復しきれてないので、2回の演奏会に絞りました。
  今日はそのうち下記の演奏会について、感じたままを書いてみようと思います。

  もう一つの演奏会も良かったのですが、プロコ5番というマイナー曲について
  2回もあぁだこぅだと読まされる読者殿も御迷惑かなぁと、自粛しているつもりです。
  あしからず。
  
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  東京オペラシティ
このオケには、第1回演奏会(マラ9)当時から
想い出があるので、想い出深い楽団の一つ。

8年以上も歳月を積み重ねている楽団なのに、
おっそろしいまでに技量と活力が
邁進し続けている理想的な楽団。
  
  今回もシベリウスとプロコの第5番を揃えてくる、といったハイ・センスな
  プログラミングなのだが、こういったプログラムを持ってくるだけで楽団に
  相当な人物が多いことが予想できる。
  
  シベリウスも5番あたりが好きな人は、プロコの5番も嗜んでいるし、
  プロコの5番が好きな人もまた然り、である。
  それだけに「にやり」とできる組み合わせであり、なかなか出来そうでいて、
  滅多にお目にかかれないプログラムだ。
  
  プロコの5番は半端なく難しい楽曲なので、それでいてシベリウスの5番
  だって人間が演奏しているように聴こえてはいけないような難曲。
  大自然が茫洋と奏でているような効果が必要なシベ5をどう料理するのかと、
  さんざん期待して演奏会は始まった。
    
  金管がどうしても大きめなサウンドになりがちではあったが、
  逆にそういった細かい注文を言ってしまいたくなるほど優れた演奏。
  アマオケ自体、シベリウスの後期シンフォニーは取り上げられてないが、
  それでも類を見ない出来栄え。
  なおかつ、これが前プロ?の一品とは思えない手の込んだ仕上がりだった。
  
  このあとプロコも聴くのだが、どちらをメインにしても恥ずかしくないほどの
  レベル同士だった。   (隊長作)

プロコも唖然とする名演だった。
  実際エキサイティングしたのは第2楽章。
  CDなどでは超絶技巧のハイスピードなスリル感、といったアレグロ音楽だが、
  ライブでは手に汗握る肩が強張るような白熱した掛け合いが
  堪能できる鬩(せめ)ぎ合いだった。
  このオケは全パートが一点の曇りもなく上手いのが気味悪いほどなのだが、
  弦五部が同等に上手いとこんなにもパート同士の掛け合いや交錯が感動的に
  なるのですね。
  
  その反面、第1楽章では終盤のクレッシェンドがもっともっと期待してしまった。
  このクレッシェンドは、聴く側が不安になるような、耳を覆いたくなるほど
  不安にさいなまれるようにまで、音量をこれでもかと上がっていっているように
  感じさすのが重要である。
  そう考えると、まだまだ不安になることもなく聴いていられたので、
  これはちょっとだけ残念だった。
  
  そしてこの曲のハイライトは、なんといっても終楽章だろう。
  私はロジェヴェン&レニングラード・フィルのライブ盤が愛聴盤なのだが、
  この演奏の何がいいって、その怒涛のアッチェレランドが凄まじいのだ。   (隊長作)

おそらくこの演奏に立ち会っていたら興奮と歓喜に悶絶して気絶して
  しまうだろうと思うのだが、それほどこの演奏は凄い。
  驀進に次ぐ驀進で猛烈な結末を迎えた観客が一斉にブラヴォーと咆哮で
  地鳴りがするんですが、こんな演奏が永遠の夢の希望。
  
  ただし、こういった演奏、もしくは似通った演奏は他に一切ない。
  なんたる不思議なことか。
  ロジェヴェンのアプローチは悪魔的で邪道なのかもしれないが、
  そのほか全ての演奏・解釈はどっしりとした正攻法で終結を迎える。
  そしてこれもまた一興なのである。
  本演奏ではやはりそういった正攻法な演奏だったのだが、
  これはこれでやっぱり十二分に堪能できました。
  
  多くの人がプロコの5番の素晴らしさを実感できた、
  大変ブラヴォーな演奏会でした。
  来年2月にはマーラー「復活」に取り組むとのこと、
  これも絶対聴かねばならぬ演奏会、と
  今から要チェックです。


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