(隊長作)

11月14日(月)  20:00   - 102 -    訪問者数

    ギーレン指揮  ルクセンブルク・フィル
    ベルリン・フィルハーモニー・ホール     - その1 -

    ベートーヴェン   ミサ・ソレムニス

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  ポスター
未だに自分自身がギーレンを聴けれたのが、
信じられないくらい嬉しい。

M・ギーレンは南西ドイツ放送響を中心に
ドイツ各地で活躍するマエストロだが、
残念ながらメジャーとは言い難い。

現在の音楽シーンではラトルやマゼールが
御大としてのさばっているが、

  果たしてのさばっているメジャー指揮者たちが、本当に感動を与えてくれるとは、
  確定されていない。
  
  感動感激とは人それぞれの感情の激的変化であり、
  万人が万人に同一の感情を想起せさしめるものでもない。
  しかし、偉ぶる古い言い方をあえて避けなければ、この20年間、
  クラシック音楽の鑑賞に血道をあげてきた我々としては、これは一つの、
  到達境幻想境と言えるのが、ミヒャエル・ギーレンなのだ。
  
  じゃあ私の心の中で、ギーレンとはどれほどの人なのか、と申し開きますと、   (隊長作)

現在生きている指揮者の中で、No.1にナマで聴きたかった指揮者、
  と断言したい。

  このほかに聴いてみたい人といえば、マッケラス、ヒコックス、C・デイヴィス、
  サロネン(この人はベルリン・フィルでレミンカイネン、プロムスでロメジュリを聴いた)
  といったところか。
  指揮者の年齢を考慮すれば、ギーレンとC・デイヴィスを
  一日も早く聴いておきたかった。
  ベルリン・フィルハーモニー・ホール
ギーレンなんて聴いたことないし、
そもそもCDなんて出てるの?
と思う人もいらっしゃるかもしれない。

ギーレンは、その現代音楽癖からか、
人間性からか、
商業主義に反抗しているからかは不明だが、
ヘンスラーという素晴らしすぎるレーベルを
通してしか現在は新譜は発売されてない
(と思う)。

  様々な事象から、こんなバカげたデタラメが起こってるんだろうが、
  真実を見つけれた僕達は幸せだ。
  それを知らずに日々、音楽を憂いている人がいるのが、残念ではあるが。
  
  この日の演奏は、贅沢にもミサ・ソレムニス1曲のみ。
  結果的には、この曲に1時間半近く費やしたんだから、
  コンサートとしては、十分な永さだった。
  ただ、曲が曲だけに、このプログラムで十分満足だった。
  と云うのも、ソレムニスに一点集中してほしかったし、くだらない前プロ、
  例えばベトベンの序曲などで、要らぬ神経を使ってほしくなかった。
  
  この日、この時のために、ギーレンのミサへの集中度を最大限、
  充ち充ちてほしかったのだ。
  そして、それは、ものすごい爆発と放出が繰り広げられる。
  
  そもそも私は、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスとあまり縁が無い。
  ガーディナーのCDを聴き込んできたくらいで、今回のコンサートに行けるとなって
  あわてて、マッケラス盤を買ったくらいのレベル。
  
  CDジャケットでは、どこぞの筋のような渋味の強いギーレンの風貌だが、
                 (↓こんな感じの方デス。↓)
  ギーレン様のジャケ ギーレン様のジャケ
  実際のベルリン・フィルハーモニーの舞台に現れた彼は、柔和だった。
  好々爺といってもいいくらいの優しさで、それは指揮姿にも現れていた。
  もっと鋭い眼光で、睨み殺しそうな姿を想像していただけに、
  これは拍子抜けだった。
  
  我々は、Eブロックという舞台横に座っていたので、ギーレンの表情から
  棒振り姿までとっくりと拝めたのだが、時折、ここぞという所でみせる
  彼の微笑が印象的だった。
  御大に認めてもらいたい、マエストロに笑ってもらいたい、彼に見てもらいたい、
  という一心で全団員が神経を集中している様がよく分かった。
  
  次回で、いよいよ本題の演奏感想を述べ切ります。
  
  
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