(隊長作)

5月27日(土)  18:00   - 115 -    訪問者数

    キタエンコ指揮   東京交響楽団    サントリーホール

    ショスタコーヴィチ  ヴァイオリン協奏曲第1番
    ショスタコーヴィチ  交響曲第7番「レニングラード」

  mcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcmcm

  いい演奏会だった。
  大曲が流れる中、ひとつひとつの断片では賛同できない点が多々あったのに、
  圧倒的なクライマックスが終ってみれば、これはやっぱりいい演奏だった、
  拍手するしかないな、と、なんだか捩じ伏せられたような想いがした。
  でもそれは、決して不快なものではなく、なんていうかなぁ、してやられたり、てな感じかな。
  実に老練で、うまい指揮者だ。
  
前プロはショスタコのVコン。
最近、若手女流が頻繁と採り上げてくれるようだけど、いい傾向である。
ただし、今まで全て満足した事は無い。
  
さて、今回のソリストは川久保賜紀、テクニックはなかなかなものだ。
だけどやっぱりそこから先は、難しいんだろうね。
この曲の最大の見せ場、第3楽章の長大な独奏から終楽章ブルレスケに
突入するあたりの高揚感と爆発力がダメだった。

  ひとえに、この第3楽章から終楽章にかけてのじりじりとした展開とその咆哮が肝心なのに、
  しっかりと確実に演奏は薦められたが、そこから先の境地には踏み込めてなかった。
  まぁ、そんな演奏は滅多に出会えるもんじゃ無い。
  
  コンチェルトはいつもどおり期待して無いので問題ないのだが、今日の肝心は   (隊長作)

「レニングラード」。
  この曲と第十交響曲は私の青春の二大曲で、どちらも大学受験の想い出が蘇る。
  この「レニングラード」は東京から遥か北のかなた、日本海に面した地方都市の
  大学へ赴いたころ聴きまくってて、日本海のどんより垂れ込めた
  白い空、心底寒い海からの風、広がる田園風景。
  
  この曲を聴くたびに、もしあの大学に受かっていたら、あの白い空の下で、
  今も暮らしているのかもしれないな、と不思議な気分になる。
  それも悪くないだろうな、どんな人生だったのかな、と可笑しくなってくる。
  
  さて、キタエンコへの感想ですが、兎に角インテンポ。
  この一語に尽きる。
  かなりの遅めテンポで、しかも一貫して遅い。
  焦らず騒がず、粛々と。
  
  聴いている間、私は相当焦れました。
  焦れったくて、私の好みじゃないなぁ、と思うことしきり。
  私はやっぱりまだ青臭く、イケイケドンドンな演奏が好きなんですね。
  泣いたり笑ったり、朗々と謳えば快活に突き進んだりする、
  テンポが目まぐるしく変幻する演奏を愛聴している。
  
  この「レニングラード」はやっぱり喜怒哀楽が激しく、ここはアタッカでしょう、
  ここはアッチェレランドでしょう、と突っ込みたくなる激しい突撃シーンが
  満載されてるんですが、そんなところもキタエンコは決して
  早めない。
  早める気さへない。   (隊長作)

逆に、第3楽章のあの宗教的なまでの美しさは、存分に発揮されてました。
  遅いテンポとは、激しいところはグロテスクに、ゆったりしたところは
  しみじみと味わいを出してゆく。
  その分、つんのめるような心の切迫感は産み出せ無いんですが、
  キタエンコの狙いは終楽章のコーダに集約されてゆきます。
  
  まさにこの最期の為に全てのテンポが統一されていたのだ、と唸らざるをえない説得力があった。
  今までに一つ一つの不信感や不満が、最後の最後で全てなし崩しにさせられたような気分。
  してやられたり、そう思ったまま、音楽は大団円へと導かれる。
  これはこれで、一つの完璧なスタイルだ。
  
  
   前へ  HOMEへ  次へ









inserted by FC2 system