(隊長作)

6月23日(土)  16:00   - 145 -    訪問者数

    クライツベルク指揮  名古屋フィルハーモニー交響楽団  愛知県芸術劇場コンサートホール

    ピアノ独奏:ゲルシテイン

      ベートーヴェン    ピアノ協奏曲第3番
      ショスタコーヴィチ  交響曲第11番「1905年」

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  愛知県芸術劇場
関東関西では多数のプロオケが、
凌ぎを削っている。

しかし日本三大都市圏である
東海名古屋はどうかと言うと、
これが手薄な状態である事は
否定できない。


  今回の名古屋フィル以外にもプロオケはあるようだが、私も含め全国の人には
  ほとんど認知されていないのでは無いでしょうか。
  いや、名古屋フィルさへも、知っている人は兎も角、聴いた人は少ないのでは無いでしょうか?
  
  私が西方へ引っ越してきて、今回が名フィル3回目の演奏会である。
  1回目は沼尻竜典指揮のマーラー第6番。
  抜群の選曲だったのだが、期待が大きすぎたのか余りの駄演で、
  このメルマガで感想を書いてはマズイと思ったほど。
  2回目は尾高忠明指揮のエルガー・プログラム。
  
  尾高忠明指揮名フィル「オール・エルガー・プログラム」感想
  http://rede200402.hp.infoseek.co.jp/dai8/dai141.html
  名古屋市民会館
こちらは上々の満足演奏会で、
なにも名フィルが悪いわけじゃ無い、

指揮者と演奏会場(名古屋市民会館)次第で、
大いに変わるもんなんだと
喜んだ。
  
  そして今回3回目、ショスタコーヴィチです。
  久しぶりの第5番以外のショスタコ。
  しかも第11番です(弊紙初登場)。
  それほど好きでも無いが、そうそう聴ける曲でもなく、指揮もクライツベルクと
  玄人受けする指揮者。
  果たして、どんな演奏になるのか?   (隊長作)

ショスタコーヴィチはライヴを聴けば聴くほど思うけど、ナマに限る。
  これはプロコでもストラヴィンスキーでもそうだけど、こういった爆裂音楽は
  どんなに立派なオーディオ装置を持ってしても、体が震えるほどの
  風圧振動までは伝わって来ない。
  会場全体がショスタコ・サウンドで満たされる中、これは凄い演奏に出くわした
  と、何度も鳥肌が立った。
  愛知県芸術劇場
今回の演奏は、こりゃぁひょっとして、
ひょっとするもなく、
日本一の演奏では無いか、
と何度も感動した。

この指揮者、この楽曲、
この日の楽団のテンションやコンディションなど、
全てがたまたま合体してスパイラルしたのだろう、
これは希代の大名演。
  
  ショスタコ・ファンを自認している人なら、たとえ関東や関西に在住していようとも、
  名古屋まで駆けつけても損は無かった演奏だった。
  そんな演奏に駆けつけてたんだから、こうやって毎回名古屋だ大阪だと
  右往左往している事へのミューズからのご褒美だったのかもしれない。
  (隊長作)
ここでショスタコの、しかも第11番「1905年」のどこが凄いか、
説明させてもらおう。

  第10番という圧倒的な名曲の後だけに、本曲や第12番はいささか駄曲に
  感じられる人もいるだろうが、こうやってコンサートでナマで聴いてみると
  この曲だって相当圧倒されるパワーが満載。
  
  1905年の「血の日曜日事件」を表した大交響詩篇みたいな曲だが、
  物凄くねばっこく、ねっちりと巻き上げるように盛り上げてくる曲だ。
  大きなうねりが何度も押し寄せては引いてゆき、この引いていった状態、
  小さな音がしばらく続く箇所が、CDでは退屈になる。
  だが、これが生演奏では様々な仕掛けや微小で繊細な手法が垣間見える。
  
  CDでは聴き取れないような裏旋律やピッツィカート、ファゴットの唸り声や
  ヴィオラの裏拍など、クライツベルクの絶妙な構造計算がショスタコ
  を透け透けにしてゆく。
  (隊長作)
逆に本曲は高度な技術と統率力を要するわけで、盛り上がるところを
ドンドン・パーパーやるだけなら簡単だ。

  肝心なのはいかに小さいところを綿密かつ緻密にしかも飽きさせず聞かせ続けるか。
  これが出来ていてこそ、第2楽章広範に始まる「民衆一斉射撃」シーンが際立つのだ。

  そしてクライツベルクの演奏は、これがもう完璧。
  どこまで音が上昇するのかと、ハラハラする連続。
  もうこれ以上は有り得ない、と耳を覆いそうになるボリュウム・アップに
  次ぐアップ。
  ショスタコの醍醐味ここに極めれりと、本当に堪らんかったです(良い意味です)。
  
  テレビ塔(名古屋)
名フィルは打楽器陣が相当イッテます。
これは完璧に私好みの叩きっぷりで、
お上品さんやお澄まし君が皆無。

打楽器かくあるべし、と
手を叩きたいくらいの完全燃焼ぶり。

これだけの攻撃を後ろから受け続けたら、
管楽器も負けていられない。
これをどうやってコントロールしているのか、
この大音響の中で弦楽器も
しっかりと聴こえて来る。

  しかも低弦はゴリゴリとした濁音付ですよ、この瞬間、名フィルは
  日本一のオーケストラになってました(断言)。
  
  毎回・全回このテンションで演奏していたら、おそらく名フィルは日本一
  なんじゃないか、と2ちゃんで騒がれ出すでしょう。
  今後も同テンションかどうか。
  9月定演(ハンヌ・リントゥ指揮)はなんと、シベリウスの第6・7番を
  やるんだから、このオケ、目が放せません。
  
  mxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmxmx
  
  【 ショスタコ終演時のフライング・ブラヴォー 】
  
  これだけ良かった大演奏なのですが、終演時、まさに事件がおきました。
  この曲の最期は大轟音が硝煙霞む中、平和の鐘の音がしじまに溶けてゆくように終わる。
  ところがこれだけの大熱演・大名演。
  俄(にわ)か熱狂者が、イタリア・オペラのように最期の一音と共に
  「ブラヴォー!」と拍手しました。   (隊長作)

まぁ、よくあるヤツです。
  
  これはこれで仕方ないほどの雰囲気だったのですが、ここで客席前方の方から
  「まだ鐘の音が終わってない!」と、凛とした抗議が出て、
  会場の拍手はタタっと消えました。
  指揮者は最期の一振り以後、微動だにせず固まったままです。
  確かに音楽は終わっていなかった。
  
  その後、指揮者がようやく腕を下げると拍手は大いに再開されましたが、
  フライング・ブラヴォー付で暴発され拍手が、一介のオゥディエンス
  (しかも女性)の一語で消されるとは、久々に出くわした珍事でした。
  結局は、フライング・ブラヴォーも、それを消した女性の一語も、
  そのどちらもが演奏に水を差すことになりました。
  愛知県芸術劇場
悪いのはフライング・ブラヴォーで、
静止した女性は義憤からしたことは
判っているのですが、
どうにも後味が悪い結末ではありました。
  
フライング・ブラヴォーを叫んでる奴、
演奏会には来ないで欲しい。
  
(▼ε▼)
  

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