(隊長作)

10月7日(日)  14:00   - 159 -    訪問者数

    SNS管弦楽団    森和幸指揮   八尾プリズムホール

      マーラー       交響曲第5番
      ショスタコーヴィチ  交響曲第7番「レニングラード」

  snsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsnsn

  
予告どおり、最近稀にみる期待を抱いて、
八尾に行って来ました。

ミクシィを通じて結成されたオーケストラ、
という事象だけでも要チェックなのに、
見て御覧なさい、このプログラム!
  
また始まったよ、プログラム談義。(隊長作)

と、お思いでしょうが、
これほどの超弩級ダブル・メインは見たことがない。

  これを超えるとしたら、あとはマーラー第6番とショスタコ第4番の組み合わせくらいか。
  (隊長作)

実際、マーラー約80分、ショスタコ88分。
  最後で述べますが、驚愕のアンコール曲を加えると、
  終演は17時を大きく過ぎていた(開演は14時だったのに)。

  このあと、18時から長岡京でブラスを聴こうと予定していたが、
  こういった嬉しい誤算ではしょうがない。
  ナニワともあれ、大阪より新時代の扉が開かれた。
  
アマオケの可能性を大きく前進させた
コンサートについて、それでは書いていくぞ。

八尾プリズムホールは、
近鉄八尾駅を2〜3分も歩けば辿り着く
駅前ホール。

内部は2層式で、古臭い文化会館様式。
ただし外観等は綺麗だし、音響も安定している。

入場して気になった事が、いな、残念な事が一つ。
聴衆が、あまりにも少なかったこと。

当日の読売新聞関西版で、
このSNS管のことがデカデカと掲載されていたのに、
1階座席の半分ほどしか埋まらなかった。

なんでやねん、とぼやきつつ、
宣伝が余りにも少なかったもんなぁとも思う。

今回の演奏会、「来れる人は是非、来るべきだった」
演奏会だった。

正直、団員たちもここまでの演奏会に
仕上げられる自信が直前まで無かったのかもしれない。
  (隊長作)

だって、このプログラム、無茶するにもほどがある。
  
  まずは、マーラーの交響曲第5番。
  目まぐるしいテンポの変幻がマーラー交響曲の大きな特徴であり醍醐味でもあるが、
  それでいて音形までもが次々と万華鏡のように複雑に変転してゆく。
  
  正しく音階を取りながら弾き切る事そのものが目的となってゆき、指揮者
  がそれでも必死に徹底させようとするテンポの揺らしが、オケを更に混乱に陥しめる。
  難しいシューティングゲームを片手でやりながら、もう一方の手で現実の
  ハンドルを捌き、激しい下り坂のカーブを高速で素っ飛ばしてゆくような状態。
  八尾プリズムホール
デュナーミク、音程、アインザッツ、
弱音部での朗々とした謳い廻し、
かつ心を込めて。

これらが全て出来て初めて、
マーラーは下拵えが出来上がった状態となる。
これらをキッチリと出来る、
ということがどれほど難しいことか。
しかも全員が。
  
問題はこの下拵えの苦労をおくびにも出さず、
起伏の激しい激情男マーラーの苦悩と葛藤を、
どのようなデュナーミクとテンポ揺らしで突き進むのか。

  マーラーは心底難しい、と思うのは実にこの点で、素晴らしく上手に弾けたとしても、
  目まぐるしいテンポ変転の嵐を、まるでそれは自然な出来事かのように踊り続けなければ、
  マーラーが成功したとは言えない。これほど酷な曲は、そう無いと思う。
  
  マーラー全11交響曲の中でも、第5番ほどそれが難しい曲はないのではないか。
  また、それが成功している例も少ないと思う。
  
  マーラー第5番の名盤が、果たしてどれほどあるだろう?
  バーンスタイン、テンシュテット、インバル、バルビローリ、ベルティーニ...。
  彼らはいずれも屈指のマーラー指揮者だが、
  彼らの第9番や第6番の凄さを我々は知っている。
  しかし、彼らの一人でも、彼らのマーラーの中で、最も優れた演奏が
  第5番だと、言い切れる人はいるだろうか?
  私は強いて言えば、インバルくらいかなぁ、と自信無げに言うのが精一杯。
  (ちなみに、私はマーラーのCDを、二百枚以上は持っている)
  
  SNS管のマーラー演奏は、綿密にテンポ設定を確認しあった上で、
  くど過ぎるほどテンポを大きく揺らしまくる、相当難しい演奏。
  しかし、右から左へハンドルを切ると夜のライトが残映を残すように、
  テンポ揺らしの激しい残像が残り、パート単位では決死の団結を誇る
  テンポ・ルバートも、大きな音響の中では妖しくまどろんで行ってしまう。
  物凄い、揺らめきのマーラー。
  
  ウラ旋律に、自信たっぷりな表情付けが出来なかったのも残念。
  マーラーはウラ旋律がゴリゴリと突き上がってくる程、彫りの深い演奏となるが、
  ウラ旋律をファースト・ヴァイオリンが受け持つ訳には行かず、
  日頃日陰役に馴染んできたパートが突如表舞台で華々しく咲き誇れ、と言われるようなものだ。
  プロオケなら兎も角、アマオケではこれだけの腕達者が揃っても、やはり難しいのか。
  (隊長作)

メインは、ショスタコの中でも最重量級の交響曲第7番。
  しかし、多くのショスタコ実演を聴いてきたが、ショスタコはライヴに限る。
  ライヴが、映える。
  マーラーに比べると音符の動きが数段に易しく、色んな難関は
  馬鹿でかい打楽器・金管の咆哮によって爆煙に霞む。
  
  ショスタコの、あのジワジワした音の漸増、感極まった頂上では狂気を
  孕んだ爆音に次ぐ爆音、そして破壊が終わった後の哀しみの世界。
  ショスタコの第7番を文章化したらこんな風になってしまうけど、
  それでも何度聴いてもショスタコは私の心に響いてくる。
  
そして、SNS管の演奏も、私は無茶苦茶燃えた。
  
特筆したいのが、木琴。
女性だったが、あの人は分かってるね。
迷い無き叩きっぷりは、聴く者の心まで震わす。
  
マーラーが前半で、ショスタコがメインだから、
ショスタコが良かった
のだとは、私は思わない。

マーラーも、彼らは途轍もなく一所懸命演奏した。
それは自分自身が、身を持って体験したから断言できる。
しかし如何せん、マーラー第5番はアマオケには鬼門だ。
  
  かつて東京で、旗揚げ公演にマラ5を採り上げた演奏会を聞いた事がある。
  その演奏は、散々だった。
  そのオケは、第2回演奏会を開かず仕舞い。
  それほどマラ5は、恐ろしい全てを孕んでいる。
  練習すればするほど、楽曲への愛情ゆえに構成に拘れば拘るほど、
  土壺に嵌ってゆく。   (隊長作)

何度考え直しても、そう思う。
  
  ショスタコが圧倒的な名演で終わった後、多くの人が感動していた。
  3時間にわたる長帳場に立ち会えた、という思いにも感傷的になってしまう。
  そんな疲れ切った状態へ、アンコールが襲い掛かった。
  ショスタコーヴィチの交響曲第5番最終楽章。
  まさに襲い掛かるような出だしだった。
  
  第7番で完全燃焼したんじゃないのか?と耳を疑う選曲だ。
  ご存知のように、この曲は大いにオカシイ曲だ。
  楽団はランナーズ・ハイという状態なのだろう。
  まさに、異常極まる演奏だった。
  これからも、これほどの興奮状態に取り付かれた集団が演奏するタコ5の
  終楽章には、そう簡単にはお目にかかれないだろう。
  
来て良かった。
これで終わってしまうのか。

大曲2発でパッと散るのも、
浪華の心意気か。




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