(隊長作)

11月11日(日)  15:00   - 164 -    訪問者数

    井上道義指揮  サンクトペテルブルク交響楽団  日比谷公会堂

     ショスタコーヴィチ  交響曲第10番
     ショスタコーヴィチ  交響曲第13番「バビ・ヤール」

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  日比谷公会堂
本日の演目を書いてみて、我ながら溜め息が出る。
何と言う素晴らしいプログラム。

流石はロシア・オケ、
重量級大曲を2曲もぶつけてくる。

しかも2曲ともマニアにも初心者にもグッと来る事、
間違いない名曲。
10番も13番も私にとっては、大切な曲。
考えてみるまでもないが、
「バビ・ヤール」のナマを聴くのは初めて。
やっている事はたまにあるのに、
こうして実際に聴けたのが今回初めてとは。
  
  サンクトペテルブルク交響楽団は本日演奏会を最後に帰国するんだそうな。
  そう言われれば、心なしか団員の表情が明るい。
  異国の地での長期ホテル生活は疲れたでしょう。
  しかし今日がラスト・デイ、頑張って貰いますよ。
  
  そんな心配は杞憂に終わり、第10番開始の怪しい低音からして
  迫力が違った。
  そう、昨夜の演奏と全く違うのだ。
  10番と13番と云う異様なプログラムに奏者も興奮しているのか、
  これが終われば帰れる、といった興奮がそうさせているのか。
  これはとんでもない名演が始まった。
  
  不思議なことに昨夜はほぼ満席だったのに、今日は7割以下の入り。
  マニア的には今日の方こそ真打ちなのに、どうなってんだ?   (隊長作)

判って無いなぁ。
  指揮者井上も空席に移ってもいいヨ、なんて可笑しなこと話してるし、
  指揮者井上は舞台でいろいろ話したが、面白いねぇこの人。
  面白いというよりか、変わりすぎ、相当ヘンです。
  日比谷公会堂
彼の指揮棒も自由自在にタクトは踊り、
楽団も彼の踊りは諦めたのか、
慣れたのか、一心に演奏に没頭してゆく。

第10番最大のハイライトは、第1楽章。
ウネウネと変転する旋律は哀しみを
必死に我慢しているようで、
感情の大きなうねりと共に打ち寄せる波が
岸壁に弾ける様な美しき泡沫へと昇華される。


  第10番第1楽章で最も好きで、感心させられるところが、
  大きなクライマックスが終わった後の処理。
  音楽にはクライマックスが不可欠で、それが冒頭にあったり、
  終結部にあったり、その配置場所は様々だが、最高潮へと向かうエネルギーは各作品、
  千差万別さまざまなテクニックとアイデアを駆使している。
  しかしそれが終わった後の展開が見事なものは少ない。
  
  しかし第10番第1楽章はそここそが全く惚れ惚れとさせる出来でして、
  多くの演奏でそこをどう弾いているかを私は注目している。
  ほとんどのCDでも、今回の演奏でも、ここをあまり意識して
  演奏していなくて残念だったが、私はこここそもクライマックスに次ぐ
  思い入れを込めて弦楽器は弾き抜いて欲しい。   (隊長作)

余談でした。
  
  第2楽章はご承知の通り大炸裂音楽。
  正直、この第10番演奏はここで絶頂を迎えてしまった。
  第3楽章はモノローグ的な寂しい楽章で、同時にオケの戦意も減退したのか、
  続く終楽章までが今ひとつ爆裂せずに終わった。
  指揮者の見識かもしれないが、私はトーンダウンしたな、と感じた。
  次の大曲「バビ・ヤール」へ体力温存を図ったか?
  と考えるのは失礼だろうか。
  


  この終曲「バビ・ヤール」は稀代の大名演だった。
  第10番の尻切れ蜻蛉への不満が、一気に解消されるほどの、いや、
  今回の東京への旅の苦労が全て帳消しになるほどの感慨を与えられた。
  どの曲もショスタコは実演、ライヴこそ命が栄える曲ばかりだが、
  こういったオラトリオ的な構成もまた然り。
  そこへもって独唱(セルゲイ・アレクサーシキン)が大音量の絶唱を
  聴かせてくれて、これ以上は無いほどの名演だった。
  
  第10番でも通常なら十分満足な感想になるところだが、あの第13番を
  聴かせられた日にゃぁ、第10番演奏さへ色褪せるのだか恐ろしい。
  これを超えられる可能性は、オーケストラ・ダスビダーニャだけかも
  しれないし、彼らでさへ無理かもしれない伯仲の快心の名演だった。   (隊長作)

両脇に電光字幕があったのも良かった。
  多くのオペラなどで使われる通訳だが、この曲にこれほど深い意味と
  思いがあった事に、多くの聴衆も唸らざるを得なかっただろう。
  ロシアの不正や社会腐敗を痛烈に扱き下ろした大問題作で、
  しかもこれが祖国を代表する大作曲家によるものなんだから、   (隊長作)

ロシア人はなんて自慢できる同胞を持っている事か。
  
  当時のショスタコは死をも覚悟して本曲を発表したのではないか。
  現代の日本で言えば、政治や大会社のスクープを歌詞に大交響曲を
  発表するようなもので、しかも音楽がイケテいて、痛烈に格好イイ。

  パーカッション群の中の、ムチ担当の男性が、非常に嬉しそうに飛び跳ねる様に
  ムチを叩いていたのが鮮烈に憶えている。
  多くの演奏者が真剣勝負さながら大問題作に目をギラつかせながら
  演奏するさまを思い起こして欲しい。
  日比谷公会堂
事情によりこの演奏会に
行けなかった人が居たら、
本当に運の無かった事でしょう。

そういう私も、今日明日と、
言葉に出来ないほどの名演を
逃しているのでしょうから、
運の無い人なのかもしれない。

そう思うと矢も立てられず、
コンサートへ飛び出したくなる。


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  ● 過去のショスタコ10番なコンサート感想 ●

  2004年  11月23日  P・ヤルヴィ指揮  東京交響楽団 /
  チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ交響曲第10番


  2006年9月23日 アシュケナージ指揮   NHK交響楽団 /
  ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番、ショスタコーヴィチ交響曲第10番


   









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