(隊長作)

奈良の大仏      - 18 -   (2007年6月)   訪問者数
  
  この日は演奏会が夜からという事もあり、奈良の東大寺・大仏さんを拝んでみた。
  
  奈良の大仏さんは、修学旅行以来。

  当時は大仏の余りにもの大きさに、
  誠に感動した。

(隊長作)



  銀閣寺や宇治の平等院、大阪城や名古屋城、子供の頃もいろんなものに
  感動する感受性豊かな少年だったが、結局、大仏ほど感動、いや、驚いた
  建造物も無かったろう。

  これは東京都都庁舎や六本木ヒルズを見飽きた今となっても、
  大仏さんほど驚いてしまうものは無い。
  奈良公園の鹿
今回は当時全く眼中に無かった
「奈良公園の鹿」に、大いに親しむ。
奈良公園の鹿

     修学旅行での鹿の記憶が全く無いのに、今回はしみじみと可愛いと思う。
                                        歳を取ったんだなぁ。(隊長作)
奈良公園の鹿

奈良公園の鹿
奈良公園の鹿

  それから鹿の糞はコロコロしてるんだけど、
  公園中に撒き散らされ、しかも臭い。

奈良公園の鹿のふん

  車で行ったのだが、鹿の糞が染み込んだ土を踏み続けたせいか、
  車中で靴から異臭がする。   (隊長作)

あわてて靴を洗ったほどだった。
  
大仏さんは、数十年振りに見ても大きかった。

子供の頃の大きさと大人となった今では、
物の大きさの感じ方って違う。

だから今回はそれほど感動しないだろうな、
と高をくくっていたが、
これは大きく間違いだった。



  大仏がただデカイから驚く、と言ったような事でなく、やはり神々しさと
  余りもの大きさに当然のように感服してしまう。

  もしかしたら、ガンダムやウルトラマンが圧倒的なパワーで眼前で戦う姿を見ても、
  同じ様な感動を抱くのかもしれない。
  人間は巨大なもの、ただそれだけでも畏怖してしまうものらしい。
  
  当時はこの途方も無い建造物を造る為に、実に多くの人の血と汗と涙、
  そして命が注がれた。
  多くの命と引き換えに完成してゆく大仏は、どのような気持ちで人間を
  見ていたのだろう。
  
  鎌倉室町期、大仏殿は焼かれ、大仏の首は落ちる。
  大仏は黙って焼かれ、首は落ちるがままとなった。
  まったく鷹揚なものだ。
  そして首の無い大仏を見て、多くの人が嘆き悲しみ恐れた。
  首の無い大仏は、ただその無言の姿だけで多くの人に無気味さを伝えたんだろう。
  
そして、首が再建された。


首から上だけが
色の違う大仏さんを見て、
やっぱりあなたは大きいですわ、

としみじみ拝みたくなってくる。



ほんとに偉大な仏像だと思う。



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