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コンサート感想


2011年5月14日(土)15:00  NHKホール
NHK交響楽団 / 尾高忠明 指揮
 ウォルトン : チェロ協奏曲
 エルガー : 交響曲第3番(ペイン補筆完成版)

(隊長作)



高校時代、マーラー。
大学時代、ショスタコーヴィチ。
社会人となって、シベリウス、プロコフィエフ、ニールセン、アッテルベリ、マリピエロ・・・
と興味の範囲を広げてきたが、お国別で分けると断然英国モノが多い。

早世した指揮者ヒコックスが好きになってRVW(ヴォーン=ウィリアムズ)に嵌り、
バタワースやパリーに目覚めたのだが、英国音楽ファンにとっての王道はエルガーだ。

王道嫌いな私だが、このエルガーはどうにも好きで、煌いてるけど渋みがあって、
でも黄昏の儚さが大英帝国を髣髴とさせて、噛めば噛むほど味わいが出る音楽。


エルガーの好きな楽曲と言えば「ファルスタッフ」(バルビローリ盤)があり、
これは私にとって永らくエルガー愛聴盤。バルビローリ節が全開で、ノリノリの演奏と
エルガーの管弦楽技法が存分に楽しめる。

交響曲も当然好きで、第1番は迷うとこだけどプレヴィン盤。
えー!?プレヴィンに良い盤なんてあるの?と思われるでしょうが、
彼がVPOと録ったR・シュトラウス管弦楽集と並ぶ良盤。
エルガーは程よい抑制と自重こそ旨味を引き出すので、結果的に
穏健派プレヴィンみたいな安全運転の方が素材そのものの味を引き出している。

一方、第2番はシノーポリ盤がクセがあって良い。
第2番はエルガーの撥ねっ返り精神が結晶したような怪作で、
シノーポリの変態性はすんなり嵌ってしまう。
ただし将来もっと良い演奏が出て来る可能性は否定できない。
第3番はエルガー本人がスケッチを残し、ペインが大幅補筆完成したわけで、
第1番の延長でエルガーを造るか、第2番の先を見据えて創るかで大分違ってくる。


エルガーを始め、英国音楽はまだまだ人口に膾炙されていない。
ベートーヴェンやマーラーのように、これでもかってCDや演奏会が出ている
とは言えない。

よって、コンプリートしようと思えば、そう不可能な量でもない。
今回の第3番もそうであって、エルガーのスケッチを元に、ペインが大幅補筆した
合作に近いような作品だけあって、ますます演奏会もCDも少ない。

私はかなり上手く出来た補筆完成版だと思うんだが、
純潔主義者は100%エルガー果汁でないと駄目だと判じるのだろう。

ネット検索すると、コリン・デイヴィス盤、ダニエル盤、尾高盤、
アンドリュー・デイヴィス盤、ヒコックス盤などしか探せない
(もっとあるのかもしれないが・・・)。

私は上記のうち尾高盤を除く4種を持ち、聴き比べを愉しんでいる。
当初C・デイヴィス盤しかなく、楽曲は素晴らしいはずだが・・・と
演奏の先にあるものを自己補正しながら聴いてきた。

C・デイヴィスはロンドン響とシベリウス交響曲で素晴らしい仕事を
してのけたので、コリンでさへこうなのだからこの補筆完成交響曲自体が
こんなものなのだろうと諦めていた。
(隊長作)

ところが猪突猛進型のダニエル盤を知り、テンポアップすれば
ここまで良くなるのかと開眼。

さらにアンドリュー・ディヴィス盤を得た。
最近あこがれのヒコックス盤も入手し、全4種を堪能しているが、
聴き比べ感想を述べたい。

まず、永らくお世話になったC・デイヴィス盤。
ハッキリ言って、クソ演奏。
ロンドン響自主制作盤シベリウスで彼を高評価しているが、
このエルガー第3番盤に限って言えば、最悪な失敗演奏だ。

ナクソス盤であるダニエル指揮の方が、サウンドは薄っぺらで貧弱だけど、
生き生きとしたリズムと前のめりな思い入れは余程アツイものを感じる。


そう、ダニエル盤はテンポが良いけど深みが無い。
録音のせいも大きかろうが、ボーンマス響のサウンドに厚みが無く、
指揮の姿勢も一本調子、押してばかりで引きが弱い。

英国音楽の醍醐味は押しては寄せる波のような緩急で、たゆたう波間の中で
朦朧としてゆく世界が独特なんだが、ダニエルはこの音楽からそれを
引っ張り出したいとは思っていないようだ。ただ、この交響曲が気に入って、
大いに共感を以って演奏に臨んでいる姿勢は熱く感じる。


数週間前買ったのがヒコックス盤。
これは素晴らしい指揮者だぞ!と、シャンドス盤を見ればヒコックスの名を探し、
彼の盤なら手当たり次第に買い込んでいたので、彼の早死には本当に残念だ。

もし彼が長命だったら、八十歳のバースディコンサートで、エルガーの交響曲を
BPOやVPOで、燦然と響き輝かせてくれただろうに・・・。

彫琢というか、肌触りが絹のように美しい演奏。
ヒコックスにしては大人しい演奏で、最晩年のエルガーの境地を尊重した解釈といえる。
A・デイヴィス盤を知らなければ、最上盤と言い切りたい出来栄えだが、
ヒコックスの多くを蒐集している私としては、彼だったらもっと奇跡を起こせたのではないか
と思う。


そして、A・デイヴィス盤。
2011年12月現在最高の盤であり、いづれはこの演奏を乗り越える名盤が
現れるだろうとも思うが、何度聴いてもこの演奏は素晴らしい。

テンポも楽曲の真意を十分理解したルバートが多く、
めまぐるしくかつ滑らかにテンポが移ろいでゆく。

C・デイヴィスと聴き比べると、ここまで演奏で音楽は変わるのかと感心してしまう。
オーケストラサウンドは重厚で、BBC響はとやかく言われているが
愛するエルガーならここまで思いを込めた演奏が出来る。
エルガーの管弦楽技法の特色として対位法が実に深く面白いのだが、
アンドリューはそこを抑制を効かせつつしみじみと味あわせてくれる。

全4楽章。第1楽章も素晴らしいが、終楽章がまさに傑作。
彼の交響曲の中で、最も素晴らしい音楽だ。
激しく心を揺さぶる大音響ばかりでなく、嵐の過ぎ去ったあとの空虚な
侘び寂びの静かな音楽がこれまた美しい。

弦がもっと透明感ある下降音型を出してくれれば更に良いが、
それだけ一瞬一瞬のきらめきや瞬きの美しさが散りばめられていて、
聴くたびにお気に入りのシーンが増えてしまう。

感情が爆発した後、ホルンが裏打ちをたなびくように奏するフレーズがあって、
この流し方が黄昏て心に響き、尾高指揮N響演奏会でも同様にやっていたので、
分かる人には判る美しさなんだなと嬉しかった。

何度も何度も山場や聴き所があるが、最弱音からジリジリと最後の頂点を目指す。
でもその栄光は決して驕り高ぶることなく、慎ましさと謙虚さを忘れないので
エルガー独特の美学が結晶化された輝きをもたらす。

そして、寂しく沈んで、終わってゆく。
このクライマックスが俄然デキてるのがA・デイヴィスで、
この演奏に感じ入らない人はいないのではないだろうか。

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さて、そんなエルガー第3番がナマで聴けるとなり、大興奮で演奏会に望んだ。
尾高さんのエルガー交響曲は何度も聴いているので期待はしていたが、
ここまで感動を得られるとも思っていなかった。

A・デイヴィス盤の解釈に似ており、裏旋律を印象深く浮き彫りにし、
エルガーが何をメッセージとして伝えようとしているのか感じさせてくれる。

また、エルガーの音楽はクライマックスに至る過程を楽しむのでなく、
いま鳴り響いている一瞬一瞬を大切に感じさせてくれる音楽。
様々な楽器が鳴るべくして鳴っている一瞬が連続し、その変転の妙が
見事に繋がれてゆく。

一週間前「英雄の生涯」を聴いたばかりだったが、今回のN響は
「エルガー第3番を知らしめたい」という意気込みが段違いで、
N響から自信と誇りを感じさせる。

こんな意義のある演奏会ばかりだったら、どんなに人生は素晴らしいだろう。

いま、エルガー感想を書いていて、またエルガーを聴きたいなと演奏会を探してみた。
随分先の演奏会だが、興味を持って頂けたら、みなさんも聴きに行ってみられたらいかが?

名フィル&尾高は休暇を取ってでも名古屋で2日とも聴きに行きたい、
聴いておくべき演奏会だと思っている。


○2012年3月24日、文京シビック・ホール
 ユーゲント・フィルハーモニカー、田中一嘉指揮
 エルガー交響曲第1番、ベートーヴェン交響曲第2番

◎2013年2月15・16日、愛知県芸術劇場
 名古屋フィルハーモニー交響楽団、尾高忠明指揮
 エルガー交響曲第3番(ペイン補筆)、ラヴェル/マ・メール・ロワ組曲、
 ディーリアス/楽園への道

 名フィルは、2012年2月ではなく、2013年2月であるので、ご注意を。

(隊長作)



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