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コンサート感想


2009年1月25日(日)14:00 東京芸術劇場
新交響楽団 / 小松一彦 指揮
 芥川也寸志 : 絃楽のための三楽章(トリプティーク)
 芥川也寸志 : チェロと管弦楽のためのコンチェルト・オスティナート
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第4番


昨年2008年は、年間70回コンサートへ行き、
うち17回がプロ、残り53回が、アマオケ演奏会だった。

私の中で、大感動、大満足、満足、不満といった風に
感興が色分けされてるんだけど、大感動と言えるものは2回。
「大感動」にまでは至らない「大満足」は33回。

33回も「大満足」出来るのに、「大感動」まで行けるのはたったの2回。
この階差は、何だったのか?



そもそも大感動できた演奏会は、その全演目からして
凄まじい緊張感で一杯だった。前プロからして気力充実、
一点の曇りなく怒涛の攻勢で押し寄せる。

いや、今回の芥川「トリプティーク」のように、
冒頭の弦の唸るような滑り出しで、今回の演奏会は早くも
「あたり」だと直感できる。

トリプティークの凄まじい冒頭だけで、ショスタコ4番も
名演になるに違いない!と予感できる幸福。

これはコンサートに通い続けた者だけが持つ嗅覚だろうし、
こんな第六感が味わえるのも実に珍しい。

新交響楽団、通称新響の演奏会は今回が2回目。
昨年7月のニールセン2番演奏会は、ある意味、
今回のタコ4演奏会が見事成功可能かどうかの下見訪問だった。

故芥川也寸志の確固たる意思を継いだアマオケとして、
長い歴史と活動歴は伊達じゃなかった。

ニールセンをはじめ、どの曲も演奏技術は非常に高く、
東京のアマオケの中でも指折りのレベルだな
と感じたものだった。

しかし全楽団員が、もちろん一部の熱狂的楽団員も
混じってはいたろうが、全楽団員が心を一致して
ニールセンを信奉していた演奏、とまでは思われなかった。

しかし今回は違う。
芥川也寸志の楽団とも自他共に認められてきたオケが、
故芥川氏没後二十年を悼み捧げる音楽会。

演目は芥川の二作品と、彼と共に1986年
日本初演したショスタコーヴィチ第4番。

まったく、ショスタコの第4番、という将来は
マーラーの悲劇的と肩を並べるに違いない大傑作が、
アマオケに日本初演をかっさられていたとは、
なんと言う痛恨の珍事。
(隊長作)

当時のプロオケ・メンバーもこの珍事に歯噛みした識者もおられただろうが、
やはり先見の明を実現化するのはアマオケならではの快挙ではなかろうか。

芥川の作品中もっとも演奏され愛されているのが、トリプティークではなかろうか。
プロコ・ファンの私としては、プロコの影響が大き過ぎて、素直に手放しで
絶賛できないところもあるが、そういった面倒な事は全部うっちゃえば、
これは相当な名曲である。

今年はメンデルスゾーンの記念年で、スコットランドやイタリアは
良い曲だとして許せても、序曲「フィンガルの洞窟」が頻繁に採り上げられて、
どうして、トリプティークが頻繁に採り上げられないのか!

トリプティークの方が難しい演奏技術を要するからだが、トリプティークだって
判りやすくて格好良くて、それでいてそこそこコンパクトな演奏しやすい音楽なのに。



実演としてトリプティークに巡り合える機会は増えてきているんだろうが、
こうやって自身が出会えるのは、久しぶり。

だから、ライヴ経験は少ないのだが、今回の演奏、
猛烈な取っ組み合いのような冒頭に驚いた。

そして、もうその出出しの一瞬で、興奮した。
この初っ端のカウンターパンチで音楽に呑まれてしまう、
という極上の経験は久しぶりだ。

もちろん冒頭だけでなく、
終始一貫した大熱演となった事は言うまでも無い。

中プロのオスティナート。
これは初聴きだったし、正直まったく判らなかった。
だから、何も書けない。

(隊長作)

メイン、ショスタコーヴィチ。
こういった演奏会のために、私は毎週末コンサートに出掛けているのかもしれない。
年に数回、起こるかもしれない奇蹟に巡り合うために。

今回のように、様々なシチュエーションが万全であり、奇蹟が起こる確率が
非常に高くても、実際はいろんな事が起こってしまい御破算になる事も多い。

演奏者の力み過ぎや極度の緊張、指揮者の選択ミス、
聴衆の飛んでも無いマナー違反、座った席が音響面で劣悪だった・・・。

素晴らしい奇蹟は、私が体感している以上に、
実際は起こっているのかもしれない。

しかし、自分自身が、やっぱり「奇蹟だ」と感動出来なければ、
それは大名演だったとは言えない。

しかし、そんな数々の困難を乗り越え、
今回の演奏会は間違いなしの、文句なしの大名演だった。
まったく奇跡的なほどの演奏。

しかしこうやってショスタコの第4番をがっぷりと
耳を澄まして聴いてみると、この音楽はなんと言う凄い作品なのか。
プロトタイプという言葉があるが、私はその言葉を思い出す。

ショスタコのあらゆる実験、工夫、試行錯誤がすべて投入され、
掻き回され、それでいて彼のどうしようもなくやるせない情念が
押し迫ってくる。

技術技巧面で、大変難しい難易度トリプルAな音楽だが、
そこへもって更に、作曲者の情念を押し上げなけりゃならない。
しかしそれが、素晴らしくうまく出来ていた。

ショスタコお得意の大爆発や、大絶叫は盛り沢山だが、
この第4番は、それだけじゃ無いのが味噌。
静かに、粛々と奏でられるシーンも多く、
またこれがマニアを善がらせる。

一瞬一瞬に閃きと才能が詰まっており、それでいて
隠し味やいたずらも忘れない。
構成は支離滅裂、破綻されたようなフォルムだが、
構成美や厳格なスタイルに、真実を語る力はあるのだろうか。

ショスタコは作曲当時の彼の等身大の思いを克明に音楽化し、
全てを曝け出してみせる。流石にこれを聴いて、
彼が幸福感を抱いていると思う人は皆無だろう。

楽譜を全て回収し、初演を三十年も遅らせたのは、
彼ならではの行動だが、こうやって無事、作品は現代に残された。

そして、無事、彼は第5番以降の交響曲も作曲できる生命を保持できた。



演奏は芥川の遺志が乗り移ったかのような、
恐ろしいまでの出来映え。
この日の指揮者、小松一彦も良かった。

テンポを豪腕で引き摺り倒す荒業が見事。
こういったトコトン行っちまった音楽は、荒業で
徹底して自己主張を貫き通す方が良い。

彼のタコ4への意思表示は筋が最後まで通っていて、
自分こそこの音楽に置いて、神だと言わんばかりの
引っ掻き回しよう。

しかしそれが見事に良い結果になっていて、
素晴らしい演奏に結晶されていた。

テンポを変転として目まぐるしいのも凄まじいが、
フっと歌わせるところなんかをこちらが
ハッとしてしまうほど歌わせる瞬間が最高。

荒々しくて猛々しいのも凄まじく、
しみじみ歌わせる一瞬の豹変が見事だった。

大爆音がホール全体に四散する時なんて、
かなたでキラキラと音が砕け散って、
音の破片が見えるかのような演奏だったんですよ。

奏者としては、エスクラとバスクラが凄いですね。
エスクラの肝っ玉振りは日本一だったし、
バスクラの捻りこぶしなんて、もう悶絶もの。

ホルン隊のクオリティの高さも素晴らしく、
硬質な音色がショスタコらしくて実によく考え抜かれた音出し。

打楽器も凄い。大音響でもしっかり自己主張する叩きっぷりは、
ショスタコの世界を完全リアル化。弦も上手いなんてレベルを超え、
凄みのある弾き方は、ココならではだろう。

そんなわけで、早々と本年度最優秀演奏会が確定してしまった、
と断定してしまいたい気分です。こういった凄まじい演奏会に
巡り合えるから、コンサート通いも、このメルマガも止められない。

本当に、コンサートは素晴らしいものです。

(隊長作)

過去のコンサート感想。

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