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コンサート感想


2011年4月16日(土)18:00  NHKホール
NHK交響楽団 / ノリントン 指揮
 ベートーヴェン : 交響曲第1番
 エルガー : 交響曲第1番

(隊長作)



プログラム演奏前、東日本大震災の被害と未来に希望を託して、一曲捧げられた。
こんな時って、どんな曲が演奏されるのだろう?
期待してしまったが、演奏されたのは、エルガーの「エレジー」だった。

エルガーの哀しい曲と云えば「ソスピリ」が一等と思うが、
ヴァイオリン・ソロに担うところが多過ぎるのか、
それとも有名度を考慮されたのか、
はたまたパート譜が入手できなかったのか。
とにかく「ソスピリ」ではなかった。

選曲はいいとしても、採り上げられた「エレジー」の演奏はどうだったか?
ノリントンと云えばピリオド奏法、これがトコトン陰鬱な演奏になってしまった。

演奏前、少し長い挨拶や「エレジー」を採り上げた経緯を彼自身が述べた。
エレジーは「最後に希望がある」と彼は楽曲紹介で語った。
ところが、真摯に聴いたつもりだが、希望は聴き取れなかった。
震災被害者へのスピーチは見事だったのに、演奏がついていってない。
う〜ん、どういうことかなぁ・・・と思いつつ、今日の演奏会は始まった。

学生時代はアンチ・ベートーヴェンだったが、歳を取ると共に、
悔しいけどベートーヴェンは面白いと思うようになっている。
特に偶数番、第4番や第2番が面白く、前者はP・ヤルヴィ盤、
後者はモントゥー盤がいい。第1番は確かに、第2&4番程では
ないが、当時の交響曲と比べたら面白い。

ノリントンの演奏は、七十代とは思えないパワフル演奏。
管と打楽器によるアタックが脳天を劈(つんざ)くような激しさ。

私は攻撃的なスタイルが好きなんだが、この直撃アタックは
音楽的とは言えない。ベートーヴェンとテニスを全力で
楽しんでいるようなつもりで、彼は振っていたのだろうか。
ここらへんから、ノリントンとN響の「相性」に疑問を感じ始めた。

メイン、エルガー第1番。
私は英国音楽が大好きで、英国イチオシはバタワース。
パリーやRVWも良く、最近はウォルトンの「ヘンリー5世」が
お気に入り。

N響によるエルガー演奏会は、5月公演で
交響曲第3番(指揮:尾高忠明)が予定されているので、
これがいま最も楽しみにしている演奏会。

第1番は大らかな演奏を期待しており、エルガー第1番のCDは
かなりを集めたが、結局意外にもプレヴィン盤が好き。
そんな嗜好だから、ノリントンは雲行きが怪しかった。
彼のCDも当然iPodに入れているし、海外ネットでの
ライヴなんかも聴いている。

ちなみにCDやライヴは、可もなく不可でもなく。
プレヴィン盤ほど深々とした満足感はないが、違和感や不満もない。
だからいつしか聴かなくなってしまう・・・そんな凡演。

むかしはN響の不甲斐なさに腹を立てたが、最近のN響はかなり
頑張っている。特にティンパニストが交代したのか、素晴らしい
自己主張と彫琢のある叩きっぷりで、今のティンパニストのお蔭で
N響は全く見違える。今日も大震災に捧げた演奏会だけあって、
非常に熱のこもった正直な演奏だった。

と、すれば、違和感は指揮者の意図する指示が、具現されていないと
解釈すべきなのか?ノン・ヴィブラートは良い時も多いが、エルガーの
ような深々とした霧のような世界を表すには、どうもしっくりこない。

バルビローリのように深い歌い込みがあった方が、エルガーなどの
英国音楽、合唱王国の英国音楽には向いているのではないか。
また、テンポの揺らし方がハンパなく、ライヴならではのエキサイティングを
目指したのだろうが、どうも団員をノリノリにまではさせなかった。

結論。
ノリントンは、N響に魔法をかけられなかった。
大震災被害者を悼むという意義深い演奏会であり、魂に訴えるエルガー
第1番を採ったのに、奇跡を起こせなかったのは指揮者に責任があろう。

(隊長作)

過去のコンサート感想。

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